Skip to content

Instantly share code, notes, and snippets.

圧倒的成長

ストーリー 1 (A 社の場合 )

夏場にエアコンを使わないことで、エアコン費を 5,000 円節約した。
しかし、それにより熱中症になってしまった。

損害の補填と治療で 10,000 円掛かった。
疲れてる人に対して、異様に厳しい人もまた、疲れてる人である率
疲れている人全てが、全ての疲れている人に対して異様に厳しいわけではない

委員会でいいんかい

委員会でいいんかい?って話。

以下に引用する 2 人は、Lisp 界隈ではどちらも大御所。 どちらも Common Lisp を使う人。 でも意見は正反対のように見える。

この手の話は Lisp の世界だけでない。 プログラミングの世界ではしょっちゅう繰り広げられている論争。

#!/usr/bin/env python2.7
# coding: utf-8
import re
import sys
def lengthen(file):
for line in file:
for token in re.split(ur'(\s+)', line.decode('utf8')):
try:
ちょっと前から、「助けてください」って感じの状態なんだけど、
いざ助けが来たとしても処理できないので、まだ救難信号を出していない。
アドバイスをもらったとして、
仮に良い提案だったとしても、おそらく実行できるだけの余力が無い。
すでに溢れそうなグラスに、さらに水を足すようなものだ。
かといって提案をもらっておいてリジェクトするのは、提案者にも自分にも心苦しいものがある。
善意を断るのは難しい。
共感して欲しがる人ほど、物語っぽい伝え方をしてしまうものだけど、
それが効果的とは言いがたい。
acting like a drama queen (悲劇のヒロインぶる)、ということだと思う。
筋道建てて伝えること
A. 論理的に伝えること
B. 客観的に伝えること
どうしよう、今、自我がない!
自我を取り返したい。
何年かに何回かはこうなるんだけど、ちょっと長い気がする。
まるで、お風呂あがりにのぼせているみたいだ。
# 四捨五入
"おいしい" と "まずい" の両方を "ヤバい" で表現してしまうのと似ているんだけど、
色々とメンタルがよろしくない状態の時には、
ちょっとしたマイナス表現の代わりに "死にたい" って表現を使ってしまう。
たぶん、仮に普通の状態が 1cm 単位で測れる定規だとすると、
メンタルがよろしくない時の定規は、四捨五入した状態の精度でしか測れない目の荒い定規だと思う。
# 花咲かじいさんを要約
"犬を虐待したいじわる爺さんは、最後に痛い目にあいました"
"めでたしめでたし"
勧善懲悪だけでは、犬は報われない。
後手後手の正義ではダメ。