ここ最近の自分の中で考えているスクラムについての考えを走り書きしたものになります。 かなり抽象的でごく私的な考えが書かれていることをご了承いただけますと幸いです。
スクラムとは「不確実性に向き合える文化を持った組織を形成するための手段」だと考えています。
スクラムにはなぜスクラムマスターというロールがあるのでしょうか? 私の記憶が正しければ他のフレームワークにはそのようなロールは基本的には設けられていないと思います。
ではスクラムマスターというロールはなぜ必要なのか。
それはスクラムという文化を根付かせるために俯瞰的に組織を見て文化を根付かせるための支援をする必要があるからだと私は理解しています。
単にイテレーションを回すための型を取り入れるためにスクラムのセレモニーを取り入れる。
こういう取り組みをしているチームはたくさんあるのでは無いでしょうか?
個人的にはこれを”浅いスクラム”と呼んでいます。
先に書いておきますが浅いから良いとか悪いとかの話ではありません。
この浅いスクラムであれば、スクラムマスターというロールはおそらく不要です。
もしチームがこの取り組みに不慣れであれば、アジャイルコーチをつける方が理にかなっていると思います。
また単純にセレモニーのファシリテーターであればチームのメンバーで持ち回りで対応できるはず。
初めは不慣れでもそのうち慣れていくはずです。
アジャイルについて初めてネットで検索すると最初に辿り着くのはスクラムの記事だと思います。
そして、アジャイル開発(対話を重視し、小さく作り、早く作り、早く世の中に出す、早く反応を見る を繰り返すサイクルを回す)を実現するために最初に取り入れようとするのがスクラムだと思います。
スクラムのセレモニーを通じてアジャイルの流れを学ぶこと、それはとても良いことだと個人的にも思っています。
ですので「浅いスクラム」も意味のある取り組みだと考えています。
しつこいですが浅いことが悪いという意味ではありません。
浅いスクラムの浅いはスクラムとの向き合い方の深度の表現になります。
浅いスクラムに他のアジャイルプラクティスを取り入れ強化したり、他のフレームワークに移行したり、組織の状態に応じて流動的に変える姿勢が大切だと考えます。
では浅くはないスクラムとは何でしょうか?
「スクラムという文化を組織に根付かせ、不確実性に向き合える組織を作っていくこと」
一言で言うならばこれが深いスクラムだと私は思っています。
この深いスクラムには覚悟が必要です。
プロダクト、あるいはサービス開発に関わるチームは常にスクラムを理解しようとする覚悟が必要です。
そしてその覚悟を持ったチームこそが深いスクラムにおけるスクラムチームと呼ばれるものになると考えます。
また、プロダクトやサービスに対して決裁権を持った人にも覚悟が必要です。
なぜならば深いスクラムはすぐに結果を生まない可能性が高いからです。
もっと具体的に言えばすぐに売上など利益をもたらせてくれないとも言えます。
ですので深いスクラムはその覚悟を持って採用しなければいけません。
つまりすぐに結果を求めたい時には向いていません。
その上で不確実性に向き合える組織を作るために投資する
その覚悟がないと深いスクラムを取り入れることはお勧めできません。
深いスクラムはすぐには利益を産まないかもしれません。
しかし不確実性の高い、この世の中に未だ存在しない技術、プロダクト、サービスetcを最速で生み出すためものです。
それを実現するための組織を作るための最速の手段である事は間違いありません。
不確実性に向き合える組織を作るためにはスクラムの三本柱、価値基準を常に意識した取り組みが必要です。
この取り組みこそが深いスクラムの軸だと私は考えます。
深いスクラムを実行していく場合、俯瞰的にチームを見守り支援していく役割が必要です。
その役割こそがスクラムマスターだと考えます。
スクラムマスターは兼務をしながら出来るものではありません。
ましてや手が空いている人がやるべき役割ではありません。
私はそう考えます。