傍から見て、うまく切り離されているシステムやサービスとしては Wikipedia がある。 あれはどうしてうまくいってるんだろうね。
UGCの会社で働いていると、「投稿物に対する他者からのリアクション」というのはたびたび議論の対象になる。 Twitter でツイートして、ふぁぼられるとうれしいし、 Instagram で写真を投稿して、いいねされるとうれしい。そしてそれらを期待してしまう。
Scrapbox に書いているときは、リアクションを期待していないし、いまこうして blog を書いているときも、リアクションを期待していない。 そういえばこれは開発者がそういう哲学でプロダクトを作っていたのだった。 https://scrapbox.io/shokai/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82%E3%81%AE%E5%88%BA%E6%BF%80%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8B%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%82%92%E5%85%A8%E3%81%A6%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%81%99%E3%82%8B
一方で営利目的の企業という組織では、この辺をうまくコントロールして刺激しないと、ユーザの離反につながるのだろう。 先程の Scrapbox の記事から次の記事が辿れた。 https://scrapbox.io/masui/%E3%82%B8%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC
この記事では次のような言及もあった
[* ブログ] [ ]ブログを書くという面倒な行為が流行るのはジマンパワーを存分に発揮できるからでしょう。頭が良い人であれば、斬新な発想を公開して自慢することにより多数の人間に自分をアピールすることができます。普通の人が面白いものを見たり美味しいものを食べたりしたといった日常的な行動も、ジマンパワー発揮の種にすることができます。多くの人の心の中に隠れていたジマンパワーを表出させるメディアとしてブログが人気を呼んでいるのでしょう。
このブログではそれほどジマンパワーを発揮したいと思っておらず、どちらかというと自分の思考の記録として書いている。 アホなので一回スッキリとアウトプットさせないと、堂々巡りになるんだよな。前なんか同じこと考えたよな〜とか、自分あのとき何考えてたっけとか。そういうのが気になるようになってきた。 それはまぁ置いておいて。
現代ではこれはもうブログではなくて、Twitter や Instagram や TikTok だろう。 ブログで PV やジマンパワーを求めるのはアフィブロガーくらいじゃない?あまり見かけない。
人にリアクションを求めるUGCなのかは、事実列挙と自己表現の違いかなぁと思う。 これはメディアとしてではなくて、動機としての話。
たとえば、料理のレシピというフォーマットに関しても、自分がうまく作れたものを載せておくというのは事実列挙であって、自分が美味しいと思ったものを載せておくというのは自己表現だと思う。ちょっと雑かもしれない。
Wikipedia も事実列挙のフォーマットに見えるが、動機は自己表現なのかもしれない。
(なんか「自己表現」というラベリングは微妙に良くない気がする。)
これはどっちかという話ではなくて、グラデーションのある話で。 ただ、マスにフォーカスしたプロダクト開発をすると、自己表現を尊重するような機能、つまり承認欲求を満たす機能が中心になるんだろうなあ。 自己表現の尊重が承認欲求を満たすと同値ではないはずで、もう少し考える必要がありそうだ。
承認欲求へのフォーカスなしに、持続性にフォーカスしてもそうなんだろうか。承認欲求を満たすことなく、ユーザが継続的に活動できる場はあるのだろうか。 ツールとしての機能性の高さが求められるのかな、 notion や Figma みたいな。
タイトルの通り、リアクションについて考えていたが、要するに必要なのは「承認欲求を満たす機能」であって、リアクションではない。 切り離せないのは、自己表現と承認欲求で、 UGC というサービスの特性上、自己表現がなしに成長しないだろうというのが、今回の結論。
テーマとしては面白そうなので、引き続き考えてみたい。
恐ろしいことに https://gist.github.com/funwarioisii/91bd4dcbc7fed6acc9659f68ecf9193a を書いたことを忘れていた