2014年度に入学した岩手県立大学,2018年度に入学した岩手県立大学大学院をそろそろ卒業するので記念カキコ
結構いろいろ遊べて楽しかった気持ちが強い
3年生から配属された研究室は予算が十分にあり,研究や開発に打ち込めた
なんとなく「こうならいいな」と思える研究室にもなってきており,居心地は非常にいい
なんなら来年もここにいると考えるほうが,労働者になっている自分を想像するよりはしっくり来る
入学当初,行きたい大学ではなかったし,自分はもっと偏差値の高い大学に入学できると信じていたので非常に辛かった.
行きたいわけじゃないのに,何故受けたんだというと受かりそうだったからみたいな.受験期にあまちゃんやっていたのでそれに影響されたのはある.
一方で,中学から数学が好きだったこともあり,応用数学っぽいことやるのかな程度の前向きな気持ちがあったことは否定しない. 入学後は図書館で高木貞治先生の初等代数論講義などを読んで過ごしていたが結局暗号系の研究をすることはなかったな.
馬術部は馬房の掃除と臭いが嫌で退部してしまった.結局写真部メインで活動したが.当時はややカメラ部よりで特に撮影会は頻繁にあったわけではなかった. その結果やはり図書館にいた
プログラミングはそんなにしなかった. 数学で抽象的な操作に慣れていれば苦労することはないと信じていた. 先輩から古いWindowsのラップトップを5000円程度で買い,Ubuntuを乗せて使っていた. 本当はMacが使いたかった. ニコマスに遅れ馳せながらハマっていて,実解析PのHaskellをやるやつを写経していた. 特に関数型言語について明るくなれたわけではない.
それなりに暗いスタートであったが,ムラの悪いオタクとして名高い先輩に誘われ始めたIngressという位置ゲーにはまり生活は一変した. 特に青森であったFirst Saturdayという初心者向けのイベントに参加できたのはよかった.
B2・B3の頃はもうずっとIngressしていた. 京都,仙台,那覇,東京,横浜,大阪,南大東島,台北,ソウル,サンフランシスコ,至るところでIngressをした記憶がある. グレーゾーンなチョメチョメをするために徐々にプログラミングへのモチベーションは向上したし,チーム・組織への意識はそこで育った. 色んな人と会って話せて本当に良かった.
この頃から前向きな気持ちを取り戻していた. 多分新しい環境に入ると毎回3年くらいは辛いんだろうな.
岩手県立大学ソフトウェア情報学研究部はB1から研究室に配属される制度があった.(もうない,改悪) B2への進級時に1回選択でき,B3のときに最終決定となる配属があった.いまはB4になる際に配属の最終決定がなされるらしい.
修了まで居続けることになる研究室には超絶優秀先輩氏Fが在籍しており,自分もそれなになりたくて今の研究室を選んだ. 直接何かを学べる(教えてもらえる)ということは少なかったが,実験に使うコードなどを読ませてもらい,理解するためにEffective JavaやJava言語で学ぶデザインパターン入門などを勉強し始めた. なんだかんだクラスの設計とか聞いたら教えてもらえて,議論もできて嬉しかった.
最初は色んなものがウワァーと動くというのが楽しそうでIoT系の研究をやりたいという話や,コミュニティって面白いなという点から田舎のコミュニティに関する研究をしたかったのだが,結局AIになった. 頑張っていたら成果は出ないものの部屋にGPUが増え,楽しくなり研究は置いておいてOpen MPIとかHorovodとか触って分散処理の素振りをし続けていた.
結局4年の夏ごろに研究テーマがおおよそ固まり,画像とBLEビーコンの電波信号強度でマルチモーダルをやることにした. Tensor Flowもplaceholderとかいうのがよくわからなくて,苦しんだ記憶があるし,それ以上にデータ収集が苦痛だった. 俺もImageNetでかっこいいモデル作る研究をしてぇ!とか思っていたが競争が激しいし,実りが少なそうだしやめておけという話があり,深く納得した.
同時並行でPBLをやっていた. よくわからないけどリーダーになっており,苦労したが楽しかった. 今でも絶対服装返すマンrebootについてメンバと語ったり,設計がよかったなどの話で語り合う.
PBL経由でenPiTなども知れて,そのまま大学にいただけでは見られない景色が見られた. 結構いい眺めだったので他の人も連れていきたいなと思ったけど,そういうのは結構難しいらしく,大きな傷を残した.
研究はM1の秋頃から随分つまらなく感じてしまい,新しいテーマを探し続けていた. CIEという学会での発表が終わったのが12月頃で,ぼんやりとVAEとかU-NET実装したりしてやりたいことを探していた. よくわからないけど生物系の新書などを色々読んだり,強化学習とかの勉強を始めていたら色々結びついて新しいテーマを思いつけたのでやっていた.
これは結構楽しくて,ちゃんとした学会で発表したいなとか思ったものの,思うような結果が出ず,修論での報告のみになってしまった. 研究の周辺環境を色々作っていたらいい感じのプロダクトになった感じがあり,GitHubで公開・開発するようになった. 結構良いコンセプトで作れたと思う.
研究室を居心地良くしようと努めたのもM2からだった. 何かとブラック扱いされる研究室ではあるが悪い研究室でもない.
計算資源は豊富だし,それなりのラップトップも支給されるし,国外発表も出来る. お茶を濁すのでいいところを聞きたかったら直接聞きに来てください. 悪い噂は耳に入っている通りかもしれない.それは教えてください.可能な限りで訂正したい.
あまり良くない空気を変えたいのがあり,かつては週末ボドゲ会などもやっていた. なんだかんだその会は,まだ研究を続けたい人もいるなどの理由から廃止されていった.
時は経ち11月.ローストビーフの会が開催された. 研究室でローストビーフを作って食べるやつなのだが,かなり楽しく,12月,新年明けて1月も開催された. 修論卒論忙しいであろうにも関わらず,研究室によく来るメンバーで楽しい会をやれた.
研究室をいい感じにしたいというモチベーションが自分自身どこから来てるのか最終的にわからないままだった. 自分の研究が嫌いでどうしようもなくて,教育に逃げたとかそういう感じは一切ない.普通に研究も楽しい. 深層学習みたいなのを研究室でやっているのは誰もいなくって,みんなでワイワイ議論したくて始めたみたいな記憶はある. 多分自分も楽しかったので,みんなで楽しみたい見たいな感情は結構あった.
そういった流れで,明日はRecSys読み会をする. といってもあまりガチなやつじゃなくて,知りたい情報を知るための足がかりみたいな感じ. でも論文を読むというのは今まで研究室であまり重きを置かれていなかったので,やれるのが楽しみ. これも楽しかったら続いてほしい.
年度ごとではなく,全体的にに振り返って今思うこと
大学生のうちにしか出来ないことをしろ(したい)という話をよく聞く. 大学は教育機関かつ研究機関で,国民の血税により成り立つので,遊んでるんじゃないぞというのも聞くし,両親などからの支援あっての生活であることを理解している.
周囲で多く聞くのは実装は社会に出ても出来るから,とにかく研究をやるべきという話である. これは上述の理由(血税)や社会に出るとなかなかまとまった時間を取れないという理由からも頷ける. その上でミスマッチというのは避けられない話だ. 入っちゃったものは仕方ないからやったほうがいいけど,他の道で自分に価値を作れるならやったら良いと思う.
そういう意味で,PBLや起業(学生起業とかいうが)やって全然いいと思うし,そこで身につけた技術などが正しく社会に還元されていけばいいのではないだろうか. 実は大学院も大体同じで,B4の時期に自分は研究ができると思っていたが,なんと出来ませんでした.みたいな話をよく聞く. だから,研究以外のところをみんな楽しくやっても全然いいと思う.
旅行とかはどうなんですかね? 社会人結構国内旅行はしているが,なかなか海外旅行をしている様子は見られない. 自分探しにインドとか行ってもいいと思うが,自分はシリコンバレーに行ったところで覚醒したとかはない. でも北海道をほぼ一周したのは結構良かったし,次それが出来る機会がいつ訪れるかわからないし,やって良かった. 若者(U-30)を満喫するなら学部卒して,5年くらい働いて旅行するのがコスパよさそう.
やってよかったし,楽しい. 強い人(先輩,同期,後輩,三方敵だらけ!)をみてまだまだ敵わないなぁと悔しさ滲むこともあるが,3年前に比べると飛躍している. もっともっとコードを書きたいし,色んな設計を試したいし,議論したい.
フロントエンドを3年のときくらいからやっておけばよかったと最近後悔している.Reactが3年前にあったかは知らないけど. なんらかの価値を届けようと思うと,結局人が触りやすいところまで自分が持っていけるようにしたかった. インフラから一気通貫して自分で色々作れるといいなっていうのが最近の気持ちです.
オタク活動をせず,パリピにもならない大学生活だった. 最強無敵プログラマーとかになれたわけでもない.
まだ何もなしてないし,何者でもないし,いい感じに当てはめられるカテゴリも思いつかない. 一番つまんない野郎だなーと思うが,一人でいるときはそれを考えなくて済むのでいい. 結局そういうこともまだまだ感じてしまうまま卒業するらしい.よろしくね.