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理由概念を原始概念とする.
- あることの理由になる,というのを説明しようとすると,そのことのためになる〔counts in favor of〕,という概念に行き着かざるをえないが,「なんでそれがためになるのか?」と考えたら,「それに理由を提供することによって」と言うしかないので.
- 傾向性説とか表出説とかあるけど,十分とは思えない.この話は11節でやる.
- 一般的説明がうまくいくかどうかさえ疑わしいのだけど,それがどうであろうと,これから言うこととは両立する.
- あとの章でやる,価値(2章)とか道徳性〔morality〕(3章)とかについての主張はどれも,我々の通常の理由観念や合理性観念についての特定の説明を揺るがすものにはなっていない.
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本章の目的は,そうした説明がどういうものでなければならないかを明らかにし,理由概念に特に問題があるわけではないという主張を支持することにある.
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さらに,理由についての問題があるとすれば,それはどんな種類の理由にも共通するものだ,ということも示したい.
- 実践的理由に特有の問題とか,行為の理由に特有の問題とかはない.
- 〔たとえば,〕ある行為が道徳的に過っているぞと判定するときに我々が応じているたぐいの理由を説明するときに必要なのは,道徳的過ちという観念のほうであって,行為の理由のほうではない.
- 実践的理由に特有の問題とか,行為の理由に特有の問題とかはない.
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本章でやること
- よくある形式の反省の中心的な要素として,理由を位置づける.
- どんな種類の理由を考えるときのも共通の構造的特徴があることに注目する.
- 信念の理由,行為の理由,恐怖や後悔や尊敬といった態度の理由,どれにも共通.
- 理由は欲求と特に密接な関係があり,欲求に依存していると考えられることさえあるが,この関係についても論じる.じつは,欲求は理由の認識とは区別でき,実践的思考においてふつう考えられているほどたいした役割を果たしていない.
- 「ある欲求を持つ」は「なにかを理由と見なす」と区別できるので,行為の正当化や行為の説明にはほとんどなんの役割も果たしていない.
- 判断可感な態度
- いま考えている意味の理由を理解するにあたって重要な区別:どんな意図ある主体ともつながりのないできごとに対して,この意味での理由を要求するのはおかしい.
- 「なぜその火山は噴火しそうなのだろう?」と問うとき,求めているのは説明であって,火山にとっての噴火する理由ではない.
- 「なぜその火山は噴火しそうだとあなたは考えているのか?」と問うたときにも,少なくとも2つの問いがある.
- 「そう考える理由はなにか?」〔what reason there is for believing that P〕:これがいま考えているやつ.基本的な規範的理由〔standard normative sense〕と呼ぶ.
- 信念以外にも意図や恐怖などの態度についても使える.
- よい〔good〕理由とも言える.話題になっているものについてほんとうにためになっているような事柄〔a consideration〕.
- 「あなたがそう考えたのはなぜか?」〔what a given person's reason for beliveing it was〕:これは実効的理由〔operative reson〕と呼ぶ.
- 正当化の理由.信念の場合,これは,基本的な規範的理由が行う説明と密接に関係してはいるが,べつものである.
- これも基本的な規範的理由ではあるが,副次的なもの.ある個人が,なにを最初の意味での理由として捉えたのか,という問い.
- 「そう考える理由はなにか?」〔what reason there is for believing that P〕:これがいま考えているやつ.基本的な規範的理由〔standard normative sense〕と呼ぶ.
- 理由をすべて規範的意味でとらえると言うと,合理的行為者はこの意味の理由について判断でき,その判断にしたがって動けるひとのことだ,という前提をとったように見えるかもしれない.これは〔理由の外在主義・内在主義の対立についての〕論点先取に見えるだろうが,しかしこの論点についての現代の論争でほんとうに問題になっているのはここではない.
- そもそもこれに論争の余地があるというのはなぜかを見て取るのが難しい.理由についての懐疑論は非常に困難な立場のように思える.
- 行為の理由についてだけ懐疑論が正しいというのはばかげていると思われる.これが額面どおりに正しいという立場をとるなら,それが正しいと言うことをやめないといけなくなるのだから.
- ヒュームはそう思っていたかもしれないが,こんにちの「ヒューム主義者」はそうではないと思われる.
- B. Williams: ひとがΦする理由を持つのは,Φすることがそいつの持っている目的を前進させるときである,と言っている.理由があるぞという主張は忠告として働く,というのを強調している.
- これはまったく規範的な意味だ.Williamsらの言う「外的」理由というのは,明瞭さのことでも現実のことでもなく,行為の説明においてその種の理由がどういう役割を果たすのか,この意味の理由をひとびとが実際に持つのはいつか,ということについての論争なのだ.
- そもそもこれに論争の余地があるというのはなぜかを見て取るのが難しい.理由についての懐疑論は非常に困難な立場のように思える.
- 基本的な規範的意味での理由が要求される範囲はかなり広い.意図的行為者と独立した状態や生起〔occurrences〕をのぞくと,合理的行為者のとる態度はすべてここに入る.
- ただし,空腹や疲労や動揺のような単なる感覚〔feelings〕はのぞく.こういう状態には,基本的な規範的意味での理由はない.理由についての判断へ影響することはあっても,理由についての判断に依存することはない.
- これらは,判断可感な態度〔judgemnt-sensitvie attitudes〕の集まりである.これは明らかに循環的な定義だが無害な循環だと思う.
- 理想的に合理的なひとであれば,十分な理由があると判断したときにはつねにとり,十分な理由がないと判断したときにはつねに捨てるであろうような態度のこと.
- 判断可感態度をなんであれとるということは,特定のしかたで考えたり反応したりする複雑な傾向性の集合を伴う.
- たとえばPと信じていれば,疑問に付されたときにPに説得力を感じる傾向にあるだろうし,Pを確言する用意もあり,ほかの推論の前提として使う用意もあり,Pと沿わない主張への反証と考える傾向もあるだろう.
- Aしようと意図しているひとは,単にある様式〔course〕での行為に傾いているだけではなくて,その意図を実行する方法を探す傾向もあるだろうし,不整合な様式が提案されたら,この意図を一見したところの反論として考えるだろう.
- ある態度が,特定の種類の判断に可感であるべき複合的な傾向性の一部である場合には,その態度は判断可感である.〔p. 21,訳に自信なし〕ただし,判断可感な態度をとるというのは,特定のしかたで判断する傾向があるというだけでなく,無反省な思考のパターンをとる傾向も含む.
- 信じている命題のことを一定の期間考えたり,意図した行為のことを一定の期間考えたりする傾向もあるのだ.
- 行為は態度ではないのだから,基本的な規範的理由を与えることはできないのでは?
- それは見かけ上のことでしかない.行為に規範的理由を与えることができるのは,その行為が意図的であり,したがって判断可感的態度の表出であるかぎりにおいてである.〔意図するという態度がある〕
- なにかしようと意図するためには,なにかをすることの理由がないといけないのだから,意図する理由は派生的なものでしかない,という指摘があるかもしれないが,この対立は真正のものではない.なにかをする理由とは,ほとんどつねに,なにかを意図的にする理由のことであるから,「行為の慰留」は「意図の理由」と別にならない.
- できごとを行為に返るのは,判断可感的態度とのつながりなのである.
- 判断可感という考えを使うと,我々はどの態度に「責任がある」のかを考えるのに役立つ.それがたとえ選択や決定の産物でなくても,その状態を保っていることは,「自分のせい」になる.
- その態度は真正に帰属ができるし,それを擁護するよう要求されるのも当然である.
- 自分の外にある事実に依存することはあるが,我々の力や自由に制限があるからといって,ここで見ているような態度に責任が軽くなることにはならない.
- 判断可感的態度は,べつの意味でも「自分のせい」となることがある.というのは,理由のなかには,その態度を支持はするが必須にはしないようなものもあるので.
- あることをする十分な理由があるときでも,ほかのことをかわりにして不合理にならない場合がある.
- だが,詳しくは6章で論じるが,この追加の「自由」がなくても,ひとはある行為に責任があると適切に言うことができる.責任があるというのは,要求する理由〔demainding reasons〕の適切さの問題であって,判断可感的態度かどうかだけが問題になる.
- だから,行為だけでなく意図や信念などの態度についても責任があることになるのである.
- ある態度について自分に責任があるとわかったときどれぐらいつらいかは場合により異なる.これは,その態度がまずかったことになる基準について,我々がどれぐらい気にかける理由があるかによって異なるだけであって,責任概念の基本は同じ.
- 合理性
- いまやった,判断可感的態度の話は,ある種の合理性の概念に近いところまで来ている.
- 合理的生物の概念と,なにをするのが合理的で,なにをするのが非合理的かの概念とである.
- 非合理性の観念は,もっと狭く理解されるべきであると論じる.すると結論として,いくつかのテーゼは,どんな理由があるのかという実質的主張としてではなく,合理性についての主張として理解すべきだ,ということになる.
- まず,合理的生物とは,推論を行う生物である.認識し,評価し,理由によって動き、判断可感的態度を持つ.
- ここまで,理論的推論〔theoretical reasoning〕と実践的推論とのあいだに区別をしてこなかったが,合理的生物は両方ができるものだ.
- 目的ある行為ができても,ある目的が,その行為に適切な理由を与えているかどうかを問うたり,その問いに答えたりできないと,合理的生物ではない.うちのネコはだめだ.
- だからといって,意図的行為はすべて,行為の時点での意識的な反省のもとでの〔conscious reflective〕判断に基づいていて,その理由は行為するに値するものになっている,というわけではない.適切さを判断するとすぐに判断可感的態度が変わる,ということでもない.
- 判断も反省もなしで判断可感的態度が変わることもあるが,もっと一般的な意味では,理由の適切さの判断は行為者に責任がある.
- 一般的な意味1:合理的生物が,この態度には保証がある〔warranted〕と意識的な反省のもとで判断するときには,一般的にはその態度をとるにいたる.意図を変え,それが将来のフルマイニ現れる.
- 一般的な意味2:ある態度に決定的に反する理由があると判断したら,一般的には,その態度をやめるだろう.前提としても使わなくなるだうし,意図を実現しようとも思わなくなる.
- 一般的な意味3:合理的生物は,たしかにしょっちゅう信念や意図などの態度を批判性的に形成するが,それが形成されるかどうかは,理由の適切さについての一般的な判断に制約されていることがふつうである.
- うわさだけの証拠は信念の形成にはふさわしくないと思っているひとが,うわさだけの証拠に基づいて無意識に信念を形成してしまうことは,ふつうはない.
- ある理由が適切であるという判断と,そのひとの思想〔thoguhts〕や行動とのあいだには,後者が判断を上書きしないかぎり,ふつう違いがある.
- 上書きをする可能性があることも,上書きされる可能性があることも,判断および判断可感的態度の特徴である.
- 欲求は実践的な意味で衝突しうる.理由についての判断も衝突しうる.空腹が食事のために起き上がる理由を与えているが,疲労はもっと横になっている理由を与えるなど.しかし,もっと深い意味で判断が衝突することがある.それは,同一の問題について矛盾する主張を引き起こし,合理的には同時に持てないような態度を引き起こす場合である.
- これは「外的」世界についての判断だけにかぎらない.
- ある事柄が,6時に起きるよい理由を構成していながら,そうしないよい理由も構成している,と同時に判断することはできない.前者から後者に移行した場合には,環境の変化や新情報などによって,判断の上書きが起こったのである.
- 上書きをする可能性があることも,上書きされる可能性があることも,判断および判断可感的態度の特徴である.
- 非合理性を狭く解釈する
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「ある行為が正しい iff. その行為が,他人に対して正当化できる」というだけなら,べつに契約説をとってなくても認めるだろう.
- 功利主義でも認められる.
- ちがいは,行為を正しくしているのはなにか,ということ.功利主義の場合,最良の帰結をもたらすことが行為を正しくしている.正当化可能性は,最良の帰結をもたらすことの帰結として出てくるにすぎない.
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Scanlonは,正当化可能性を2とおりの形で基礎におく.
- 正不正の道徳の,規範的な基礎になる
- 正不正の道徳の内容に,もっとも一般的な特徴付けを与える
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契約説によると,正不正について我々が考えるときに判定しようとしているのは,この原理って,適切に動機づけられていさえすれば,だれも理にかなったしかたでは却下できない原理かな? ということ.
- というわけで,正当化可能性という概念と,理にかなった却下〔reasonable rejection〕という概念について,それぞれ説明が必要になる.
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既存の契約説 * Gauthie: 合理性〔rationality〕とは,自分の目的を達成するのに貢献することを選ぶこと. * このときそいつの目的は,だれもが同意できるという意味で合理的な,よい理由があることを示せるものであるべき,とされる. * Hare: 合理的〔rational〕行為とは,当人のその時点での選好をなるべく多く充足するような行為. * このときそいつの選好は,論理的誤りがなく,事実によって修正を受けたもの,に限定される. * 道徳原理を普遍的指令とみているので,ほかの可能世界で同じ立場に置かれたひとが,ちがう選好を持っていても,当てはまらないとダメ. * Kant: 普遍法則であるかのように従うことを,当人が合理的に意志したような,そんな原理に照らしたうえで,許容される => ある行為が道徳的に許容可能 * Rawls: 正義の原理というのは, 無知のヴェール状況のもとでその原理を受け入れるのが合理的であるような原理.
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既存の契約説はどれも共通点がある.
- 合理的にみてすべき・選ぶべき・意志すべきことはなにか,という問いに答えると道徳の中身がわかる,というもの.
- また,それに答える際には,他人の利害を考慮に入れることを要求している.
- Gauthier: 他人が,なにをする理由を持っているか,を,我々は考慮しなくてはならない.なぜなら,我々は協調して取り決めをすることから便益を得ようとしているのであるが,他人にとっては,そのひとたちの利益を増進させないようなことだったら,それをやろうという計画に同意することなど合理的ではないから.
- Hare, Rawls: 問題になっている合理的選択とは,関連のある他人の運命を変えてしまう,という形で定義される.
- Hare: 他人の選好についての情報や動機を追加することで達成される.それによって〔 then〕,自分がその他人の地位にあったらどう扱ってほしいか,という,私たち自身の選好を形成する.
- Rawls: 情報を減らすことで達成される(無知のヴェール).互いに無関係な当事者〔parties〕でも,その当事者やその当事者を代表するひとが自分たちのためにできることと同様のことをしたい〔the desire … to do as well as …〕,という,ある種の動機に注目する.
- 当事者たちが契約しあえば,もっとも利益がないひとびとや文化的・宗教的なマイノリティの利益が守られることになる.なぜなら,そういうマイノリティが自分たちに含まれるということをだれもが知ることになるからである.
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こういうヴァージョンの契約説にもとづくと,正当不当についての考えは,他人が理由をもって拒否できないような,そんな原理を探す,という目的(この目的を共有しているかぎりは拒否できないような原理を探す)という,特別な種類の動機によって構成されている〔←動機づけ主張〕,ということになる.
- この目的は,他人の視点を考慮すべき直接的な理由を与えてくれる.我々が実際に他人であるからとか,ほかの可能世界でその他人の地位を占めるからとかではなくて,他人も我々と同じように受け入れる理由を持つ原理を探すために,考慮しないといけないのである.
- 4章で指摘したように,道徳的嗜好の結論が要求するしかたで行動しようというふうに我々を導く理由は,その結論にたどりつく過程を形成している理由と,強い連続性を持っている.
- Scanlonの立場が既存の似た立場とちがうのは,
- この動機づけ主張〔motivational claim〕を使っているところと,
- 合理性〔rationality〕の観念ではなく理にかなっていること〔reasonableness〕の観念のほうに訴えているところ.
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合理性ではなく理にかなっていることというのは疑問の余地があると思えるかもしれない.
- どうして,「だれも理にかなったしかたでは拒否できない原理」なのか,「だれも合理的には拒否できない原理」ではだめなのか.
- 「理にかなった」版の定式化のほうがわかりにくく思えるのに,なんでそっちで条項〔rider〕を付け足したのだろう?
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1章で論じたように,「合理性」にはいろんな意味があるが,最近では「(最大に)合理的な当為」は,「その行為者の目標を満たすのに(最大に)貢献すること」を意味すると捉えるのがいちばん広まっている. * でもこれまで述べてきたように,この概念把握は誤解だとScanlonは考えているが,この誤解はおなじみのものだが,このことこそ,不適当な語の用法が思い浮かべさせてしまいがちなものだ.〔ここの文はかなり難しい.I belive X, but X is so familiar that it is what A do.のように読もうと思ったのだが,what any … use … is likely to call to mindだとすると,「(それこそまさに,)使用が思い浮かべそうなこと」となってしまっておかしい.is likely to be called to mindならまだわかる.〕
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「理にかなった」も確立された意味を持っていて,こちらのほうがScanlonが道徳的思考の基礎に据えたものに近い.
- あるひとにとってなにをやるのが理にかなったことか,についての主張は,
- これこれの情報群と,関連があるとされているこれこれの範囲の理由を前提していて,
- 次に来る主張は,そういう理由がじっさいに支持しているものについての主張だ.〔注6:1章3節も参照〕
- 正不正の契約主義的な分析で最初で最重要な前提とは,原理を探そうという目的,しかもこの目的を共有していたら合理的には拒否できないような原理を探そうという目的である.
- この目的からほかの理由がついてくる.
- たとえば,どの原理を受け入れるか決めるとき,他人の利益に重きを置かない,というのは理にかなっていない.
- ここから,これこれの状況でどうして「他人の利益を勘定に入れる」ことを要求されるのか,という,もっとややこしいさらなる問題も出てくる.
- この目的からほかの理由がついてくる.
- あるひとにとってなにをやるのが理にかなったことか,についての主張は,
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この意味での,なにをやるのが理にかなったことか,と,なにをやるのが合理的なことか,とのちがいは,用語的な〔technical〕ものではなく日常言語におなじみの区別である.〔注7: Sibley 1953を見よ〕
- 水利権について交渉しているとしよう.このあたりの水をすでに支配している地主がいるとする.
- この地主はケチではないが短気で,自分の地位の正統性を疑われるのを好まない.
- この状況で,みなが最小限の水の取り分をもらう資格がある,と主張したり,それを保証してくれない割り当て原理はどれも拒否したりするのは,理にかなっていなくはない.
- しかし,合理的とは限らない.地主を怒らせて最悪の割当量にされてしまうかもしれないので.
- 地主のほうでも,最小水利権の保証原理を要求されたら断るのは理にかなっていないが,それが合理的かはべつの問題で,地主の目標によってちがう.
- 水利権について交渉しているとしよう.このあたりの水をすでに支配している地主がいるとする.
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このおなじみの区別についても,なにが端的に合理的なのかだけでなく,特定の目標のもとでなにが合理的なのかとのちがいに注意することで,反対できるかもしれない.
- 理にかなっていることの観念は曖昧で,合理性という考えはもっとはっきりしていてよくわかっている.
- じゃあどうして合理的な拒否ができない原理じゃなくて,理にかなった拒否ができない原理のほうで正を定義しようとするのか?
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第1の理由:そのように定式化すれば,原理に基づきつつ理想的な目的に持っていくにはどうするのがいちばんか,という戦略の問題として理解できそうだから.〔注8:Miller 1992.Scanlonは文献名を単数で書いているが複数形( Moral Differences)が正しい〕
- そのように解釈すると,この問題を,なにをするのが合理的かという,他人がなにをするだろうかによって変わることに,事実に照らして確定的な答えがある,ということはありそうもない.
- この原理にしたがえばだれもがもっとよい状態になります,という単一の原理があったら,その原理を選ぶのはだれにとっても合理的なことになるので,「どの原理が目標共有者合理的拒否不可的か?」問題には確定的な答えがあることになるだろう.
- でももっとふつうの状況では,どの原理がほかの原理より利益になるか,というのを選ばないといけない.抽象的に見て確定的な答えはない.
- そのように解釈すると,この問題を,なにをするのが合理的かという,他人がなにをするだろうかによって変わることに,事実に照らして確定的な答えがある,ということはありそうもない.
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状況の詳細が明らかになれば,確定的になるかもしれない.個人の心理学とか選択肢とかぜんぶ特定したらね.
- 水利権の例では,地主も含めた全員が合理的拒否不可的な原理を探すという目標を共有していたとしても,自分の好みの条項を拒否する理由はだれも持たないまま,ということが真だった.
- 合理的合意を目標とすることを追加してもほとんど変わらない.地主は地主が選んだ原理を近隣住民にのませるのが合理的であるという立場にいるので.〔つまり合意にいたらないということか?〕
- この場合,確定的な答えには道徳的重大さがほとんどついてこない.
- 完全情報と,同意が不可能な点のせいで全員が最低限受け入れられる地位につけられてしまうことと〔? full information and a no-agreement point〕が道徳的に問題含みなので,そういう特徴をこの例から外しちゃおう,ということをやると,また答えが確定的にならなくなる.
- おなじみの戦略としては,問題になっている同意にもっと条件を課して,道徳的に関係がありつつ確定的であることを保持しようとするものがある.
- この戦略を採用した説に反論するのではなく,それとScanlonの戦略がどうちがうかをここでは示したい.
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Scanlonの契約説では,ある行為の正不正を決定するのに,なんらかの道徳原理からの〔その行為への〕反対が理にかなっているかどうか,という実質的判断を要求する.
- 水利権ケース:近隣住民にとって,地主が提案するよりもよい条項を要求するのは非理にかなっていないわけではない.これは,要求主張の利点〔merits〕についての実質的判断を反映しているのだ.
- この判断は,なにが近隣住民の利益をもっとも増やしそうかということについての判断ではない.
- この判断は,なにが実際の状況や理想化された状況で合意を生みそうかということについての判断ではない.
- この判断は,この原理は相互理解と相互順応との基礎を提供するのにふさわしいか,ということについての判断である.
- 水利権ケース:近隣住民にとって,地主が提案するよりもよい条項を要求するのは非理にかなっていないわけではない.これは,要求主張の利点〔merits〕についての実質的判断を反映しているのだ.
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Scanlonの分析が適切ならば,これこれがこの意味で理にかなったことだというのは,正不正の日常的な考えの根拠となり,指導するものである.つまり道徳的内容がある.
- しかしこれだと,道徳的内容が道徳的理論の構成要素として入ってくることになるが,これは循環している.理にかなったことという,最初から道徳要素が入っているものに基づいているではないか,というわけだ.
- 合理性(+合理的選択のなされる理想的状況の構造的特徴)という考えに関する立場のほうがもっといいのでは?
- この反論に答えるまえに,Scanlonの契約説をもっと細かく説明しよう.
- 理にかなった対抗事由についての判断に「道徳的内容がある」というのはどういうことか明らかにすると,循環による批判の強弱やそれに応答する方法もはっきりするから.
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さらにそのまえに,ある行為が不正であるかどうかを決定する過程で,理にかなっていることの観念がどう出てくるかについてもっと言っておきたい.
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契約説:状況CでXするのが不正かどうかを決めるには,その状況でどう振る舞うかを決める原理それぞれについて考える.状況CでXすることを許す原理がどれも理にかなったしかたで拒否できる,というとき,状況CでXするのは不正.
- ある原理が理にかなったしかたで拒否できるかどうか決めるには,あるひと〔other〕がXをすることを許された場合にほかのひと〔some〕が背負うことはなにか,についての考えをまず形成しないといけない.〔need first to form an idea …〕 許可からの反論と呼ぼう.〔注9:4章&6章を参照〕
- 次に,この許可からの反論が,問題の原理を理にかなったしかたで拒否する基礎付けになるかどうかを決めたいので,その状況でXすることを禁じる原理がどういうふうに他人に重荷を背負わせるのかを考える必要がある.〔We then need … to consider …〕〔書いてないけど,これを禁止からの反論と呼んでいる.〕
- ここで,許可からの反論と比べて禁止からの反論が重大でないもので,そのため,状況CでXするのを許可する原理はどれも拒否するのが理にかなったことだ,としよう.
- 契約説的な定式化では,これは,その行為が不正だということを意味する.
- 逆に,状況CでXすることを許すなんらかの原理があって,それが理にかなったしかたで拒否できないならば,Xすることは不正ではない.理にかなったしかたで拒否不可的であることを他人に正当化できるのだから.
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状況CでXすることを許可する原理すべてが理にかなったしかたで拒否された場合〔この状況ではXするのが不正〕,状況CでXするのを許さないような,理にかなったしかたで拒否不可的原理があるにちがいないように思える.
- これが真なのは,理にかなったしかたで拒否の問題は相対的な本性を備えているせいだ,と考えるひともいるだろう.
- 許可からの反論のほうが禁止からの反論に相対的に強力なので,状況CでXすることを許す原理はぜんぶ理にかなったしかたで拒否可能だ,というときには,禁止からの反論が許可からの反論に相対的に強力なので状況CでXすることを禁じる原理はぜんぶ理にかなったしかたで拒否可能的だ,ということはない.
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ところが,これが両立してしまうように思えるケースがある.〔注10:Nagel 1995〕
- 例:沈没する船から2人が泳いで逃げる.片方が水面にライフジャケットを見つけた.もう片方は力ずくでそれを奪い取ってよいか?
- 許可する原理はすべて理にかなったしかたで拒否可能的だが,禁止する原理も理にかなったしかたで拒否可能的(ないと溺れ死ぬので).
- 一般化すると,これは理にかなったしかたで拒否にはしきい値がある,ということ.
- この場合は奪い取るのを許可するのも禁止するのもしきい値を超えないケース,というのがScanlonの診断.
- やらないと死ぬようなことを禁止するような原理はすべて理にかなったしかたで拒否可能,ということではない.
- べつの原理をとったとき他人にどれぐらいのコストを負わせるかにだけでなく,そのコストをどうして負わせるかによっても,拒否の理にかない度合いはちがってくる.
- このことは,この章で論じる一般的事実,つまり,ある原理に対するあるひとの反対の強弱は,その原理を受け入れたときにそいつの厚生がどう変わるかだけによって決まるのではない,ということを反映している.
- 難破船ケースでは,〔禁止原理と許可原理との〕2つの原理のどちらでも2人に課すコストは変わらない(片方は死ぬ)のだが,片方はライフジャケットをとった(たぶんがんばって見つけた〕おかげでいまリスクがないんだぞ,という反論の強弱にはちがいがある.〔禁止からの反論のほうが強くなる?〕
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理にかなったしかたで拒否のしきい値という一般的考えが不適切だったとしても,平等に釣り合っている強い反論〔objections that are evenly balanced〕がまだある.
- 例:泳いで逃げる2人のうち片方が強い.同時にライフジャケットにたどりついた.たがいに力ずくで取り合ってよいか ?
- 許可原理は理にかなったしかたで拒否可能,禁止原理も理にかなったしかたで拒否可能.
- 許可原理のほうには少なくとも,2人のあいだに対称性があることを理解し,決断的解決が必要であることを理解する,という美点がある
- 許可原理の拒否は,もっとよい代替案があるときのみ理にかなったしかたでなるだろう(順番に使う原理とか.溺れちゃうだろうけど).〔片方発見ケースとちがって,同時到着筋肉強弱ケースだと,許可原理が拒否できない〕
- 同様に,力ずく禁止原理が理にかなったしかたで拒否できないのは,この状態を解決するのに拒否不可的な方法があるときだけ.〔だから禁止原理は拒否できる〕
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だから,禁止からの苦難と許可からの苦難とが事実上いっしょになるということから,禁止原理も許可原理も理にかなったしかたで拒否可能だ,ということは出てこない.
- どちらの反論も対称的であるという事実こそが,拒否不可的原理を見つける方法を示してくれる,ということもある.
〔pp. 197-199〕
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「だれも理にかなったしかたで拒否不可な1つ以上の原理がその行為を禁止する場合,その行為は不正」に出てくる「原理」について説明する.
- この「原理」が正不正について考えるときどういう役割を果たすかも説明する.
- 行為功利主義と規則功利主義とのあいだの論争でおなじみの,なぜ個別の行為じゃなくて原理を行為の正当化に使うのか,ということを問うわけではない.
- 他人に行為を正当化する = 他人が持ちうる反論すべてに対抗するのにじゅうぶんな理由が行為を支持しているぞと主張する
- だから行為を正当化するということは,この理由はこの状況での行為にじゅうぶんだぞという原理を擁護するということ.
- ただし,正当化において訴えるべきは当該の行為の帰結だけなのかほかのことも入るのか,という点にはあとで戻ってくる.これは原理がどういう形式をとるべきかの問い.
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理由+原理でとらえると,日常的な正不正の判断の中心的特徴にそぐう.
- 正不正の判断はふつう理由つき.ほかの評価的判断とはかなりちがう.
- 美しい,醜い,おもしろいなどの場合,我々はそれを「見てとる」
- 判断が先に来て,そのあと説明が来る.
- 「ただ不正だと思ったんだ」という反応は虫の知らせていどの地位しかなく,説明を与えないかぎり判断を差し控えるような圧力が働く.
- 正不正の判断はふつう理由つき.ほかの評価的判断とはかなりちがう.
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ユーモアや見目麗しさの判断の基準は集団に相対的だと考えられる.(注12:この相対性について詳しくは8章で)
- しかも,その基準を特定することはほとんど不可能.
- 正不正については,ある行為についてどんな反論があるかという考え〔=つまり原理〕をわかっておかないと主張できない.
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だが,道徳判断が意識的に原理を参照することを伴う,というのは受け入れがたく思えるかもしれない.
- マコーミックの例:法的に権利があろうとも隣人の眺望をだいなしにするような建築をするのは不正だ
- ここで,隣人の利害を十分に考慮していなかった,というのが道徳的反対事由になっているわけだが,それを支える原理を定式化するなどということはありそうにない.
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原理についてはもっと広くとらえてほしい
- さまざまな問いに答えるために「適用」できる規則,というのだと狭すぎる
- 行為の理由の状態についての一般的主張をここでは原理と呼んでいる
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人間の生命を奪うことについての道徳原理の例
- なんじ殺すなかれ,という単純な規則では済まない.
- 理由を使うほうがはっきりする.
- だれかの死につながることが予見できる行為であるという事実は,それに反対する決定的理由になるのがふつう,など
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約束を守ることについても同様
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いちばん身近な道徳原理でも,判断に訴えることなく適用できる規則,というものではない.
- 「通常は」のような但し書きがつく.
- 事例はいろいろあるので,我々の判断が収束することを規則の適用として説明するのは難しい.
- 収束できるのは,共有されている感覚に訴えているから.表現の自由の擁護の例
- 表現の自由の要点はなにか
- どういう効果が望まれているものか
- なぜ検閲の制限が必要なのか
- それによってなにを促進しようとしているのか
〔pp. 199-201〕
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「通常は」のような但し書きつきの原理から十分な正当化だという判断に至るのを,競合的な考慮点の「バランスをとる」ことととらえるのは誤解を招く.
- このプロセスは,対立する利害の重要さ〔seriousness〕を比較したり重み付けしたりするだけのものではないから.
- 約束の例:約束の要点を理解してさえいれば,約束を破る理由のなかには約束を無内容〔pointless〕にしないかぎり許可されないものもあるし,反対に,約束が耐えがたいほどの犠牲を求めるものであるべきではないときには,許可される期待もある.〔?〕
- このプロセスは,対立する利害の重要さ〔seriousness〕を比較したり重み付けしたりするだけのものではないから.
-
引きつづき約束の例.約束をしたひとにとって,約束時点で約束のコストが予見できたかどうか,という事実は,忠実さの原理に責任を負う利益のせいで,〔約束に?〕関連する〔are made relevant by〕.
- これらの事実は条件を提供するだろうか,というのを決めるとき,それ〔that〕はコストの約束を破る理由としての力を変えるのであって,そのコストとバランスをとるべき追加の関心としての力を変えるのではない.
- 〔「約束を守らないことの理由となるコストの力を買えるような条件を,この事実は提供するだろうか,というのを決めるとき,」がwhen節に見えるのだが,それだと主節がないことになる……〕
- 〔ある要素が約束を破る理由になるか考えるとき,利益の勘案以外にも,予見できたことかどうかのような要素が正不正に関係してくるので,利益の勘案だけでは説明できない〕
- これらの事実は条件を提供するだろうか,というのを決めるとき,それ〔that〕はコストの約束を破る理由としての力を変えるのであって,そのコストとバランスをとるべき追加の関心としての力を変えるのではない.
〔pp. 201-202〕
-
あるひとが道徳的に不正なしかたで行為している,と判断するとき,私たちはそいつを以下のようにとらえている.
- 道徳的に許可されない理由にもとづいて行為している
- ある理由に,その理由について道徳的に許可されているよりももっと重みをつけている
- 反対理由の重みや関連性をとらえそこねている
-
ある理由が道徳的に十分であるとわかるのに使える規則はないかもしれないが,我々はそういう判断をしている.
- なぜそれが目下の行為について道徳的制約となるべきなのか.(許可するほうの原理はなぜ「理にかなったしかたで拒否可能」なのか)の理解を使って.
- その制約がどういう構造をとるかの理解をつかって.〔注14:この構造の複雑さは場合によって変わりうる〕
- つまり,道徳原理の理解が判断を導き,判断が道徳原理の理解を表現するのである.
-
妥当な道徳原理は無限にある.
- 原理のなかみを理解するときと同様に,〔共有されている感覚によって,〕我々はどんな原理があるかを知ることができる.
- 明示的に教わることもあるが,反省によってわかるものもあるし,ある状況にさらされてはじめて妥当だとわかるようなものもある.
-
約束を破るのは不正だというのはだれでも明示的に教わることだが,7章で論じるとおり,他人の期待に大して不正にふるまったことになるのは約束を破ったときだけではない.
- 不正な例はほかにもある.これらは約束を破るのが不正であるとわかるのと同じしかたで,不正であるとわかる.
- 自分が他人に形成するようにしむけてしまう期待について注意をおこたる
- 他人の期待が誤解であることを警告しそこねる(すべてが不正ではないが多くは不正)
- そう期待させれば自分が得するときに,他人に見せかけの期待をさせる.(すべてが不正ではないが多くは不正)〔虚偽の発表をして融資をつのるみたいな例だと思う〕
- 不正な例はほかにもある.これらは約束を破るのが不正であるとわかるのと同じしかたで,不正であるとわかる.
-
観点〔standpoint〕の検討をしよう.
- 理にかなったしかたで拒否不可的な原理を探そう&従おう,と思ったら,他人の利害,つまり,現時点の自分の観点〔standpoint〕以外の観点を勘定に入れることになる.
-
契約説による定式に,「他人」は2回出てくる.
- 行為を正当化する相手としての他人
- 問題の行為の影響を被る特定の個人
- もっと広く,もっと抽象的な視点をとる必要もある
- もっと広く:問題の行為の帰結だけでなく,行為の一般的な実行・不実行の帰結や,その他の含意も勘定に入れる必要がある.
- 原理を理にかなったしかたで拒否できるかできないかする他人
- 行為を正当化する相手としての他人
-
問題の行為の帰結だけじゃない,一般的な帰結
- その種の行為の実行が一般に広まったらどうなるか
- そのクラスの行為を一般的に許可・禁止したらどうなるか
- 人生設計とかにも影響するね
- 〔As agents, if we know that we must stand ready to perform actions of a certain kind should they be required, or that we cannot count on being able to perform acts of another kind should we want to, because they are forbidden, these things have important effects on our planning and on the organization of our lives whether or not any occasions of the relevant sort ever actually present themselves.〕
- 砂漠地域の食糧歓待係だったら,買いもののときとか考えること増えるでしょ
- 自由にコピーする資格はない記事が講義に有用だとわかったら,〔それを収録した〕アンソロジーを発注する理由がある.〔even though this may prove to have been unnecessaryの含意はよくわからない.アンソロ全体は不必要? 文全体は,コピーの一般的な禁止がべつの行為の理由になる,という例〕
- 行為をするほうだけでなく,行為に影響されるほうにも,一般的な許可・禁止は影響する.
- プライヴァシー要求:原理が一般的に受け入れられているから,個々の侵害が起きないことが保証される
-
原理の受け入れには,こうした影響以外の含意もある.
- 他人との関係や,自分じしんいついての見方にも影響するので.
- 否定的な例:4章の例〔たぶん「相互認知の関係」のあたり〕.他人との関係に参入するのを原理が妨げる
- 肯定的な例:プライヴァシー要求.他人が自制してくれるおかげで,監視から自由になることができ,他人と同等の独立したひととしていろいろな関係に参入できる.
- これが理由にならなかったら,他人との関係はおろか,自己についての立場も大きく変わる.
- 肯定的な例2:身体権.〔注15はMillへの言及.正不正を理由や道徳感情から説明するなど,帰結主義っぽくないところがsurprisingだが,Mill研究者としてはsurprisingではない.〕
- 〔ルールが行為を制約することの帰結だけでなく,ルールの内容も我々に影響を与える.〕
- 他人との関係や,自分じしんいついての見方にも影響するので.
-
原理が一般的に受け入れられたときの帰結を考えようと思ったら,特定の個々人の目的や選好やその他の特徴に訴えることはできないので,共通して使える情報に頼るほかない.
- これを総称的理由〔generic reasons〕についての情報と呼ぶことにする.
-
総称的理由の具体例
- 我々はみな,ひとには身体が傷つくのを避ける強い理由がある,と考えている.自分自身の計画や友人や家族にとりわけ注意を払おうと望む理由も典型的には持っている.
- これらをだめにするような原理は,拒否する理由がある.
-
総称的理由とは,
- ひとがその状況にあることで持つと考えられる
- 総称的な語〔general terms〕や,目標・ケイパビリティ・条件で特徴付けることができる
- 大多数のひとが持つ理由だけに限定されない
- 少数派に不利な影響がある原理は理にかなったしかたで拒否可能.これは特定の個人に帰属される特徴にではなく,特定の一般的特徴に訴えているので.
-
総称的理由が,ある原理を理にかなったしかたで拒否する土台になるかどうかは,巻き込まれる他人にとってのコスト〔語順がよくわからない.the costs this wolud involve for others〕や,代替案によってちがう.
- 特定のしかたで行為することへの一般的許可の原理が拒否されたら,代替案の1つめは,一般的禁止の原理.
- これはありうる行為者の視点からすると非常に高くつくので拒否されるかも.
- 特定のしかたで行為することへの一般的許可の原理が拒否されたら,代替案の2つめは,許可に制限をつけるもの.
- 特定のしかたで行為することへの一般的許可の原理が拒否されたら,代替案の1つめは,一般的禁止の原理.
-
原理をきめ細かくせよという圧力はあるが,反対に,原理をきめ細かくしたらもっと不確実になり〔create more uncertainty〕,情報がたくさん必要になるからよせ,という圧力もある.
- 例:約束を守ろう〔fidelity〕の原理.予見力が個々人によって違うので,自発性の要請から受け取れる保護の価値はひとによってちがう.
- ということは,この原理を,望まない帰結に陥ってしまいがちな〔予見力の低い〕ひとの立場から拒否して,もっと狭い原理にすべきだろうか?
- それはダメだと論じるには,ここで原理を狭めると約束に理にかなわない重荷(この同意は道徳的拘束力がある約束か,それともただの同意なのかを調べるために,性格はどうか,弱みはないかを確証しないといけなくなる)を課してしまうぞ,と主張する必要がある.
- 例:約束を守ろう〔fidelity〕の原理.予見力が個々人によって違うので,自発性の要請から受け取れる保護の価値はひとによってちがう.
-
道徳的論争をする際には,総称的視点という構想が持ち込まれるし,我々の一般的な人生経験を反映した視点と関連した理由も持ち込まれる.〔we bring toが強調構文のように見えるのだがよくわからない〕〔注16で,約束の話は具体的には6章ですることを予告している〕
- 〔その証拠に?〕道徳的バイアスでいちばんよくあるのは,〔注17はMacKinnonのようなフェミニズム的著述家への言及〕
- 自分のでない視点から考えそこねることや,
- それに関連した理由を過小評価することや,
- そういう理由の強制力をもたらす原理を受け入れるコストを過大評価すること.
- 〔その証拠に?〕道徳的バイアスでいちばんよくあるのは,〔注17はMacKinnonのようなフェミニズム的著述家への言及〕
-
〔ところで,〕こういうバイアスを是正する方法を提供することが,道徳理論の重要な役割だと,よく言われる.
- たしかに,行為を他人に正当化できるようにせよという圧力は,この種のバイアスを明らかにして克服する助けになる.
- だが,この過程というのは我々の直観的道徳カテゴリーをじょじょに修正していくというものなので,バイアスを根本的に正すということが可能かどうかは疑わしい.〔注18はHabermasへの言及〕
-
〔前節で説明したのは,道徳的正当化のプロセスでした.〕この道徳的正当化のプロセスは一般的な契約説的枠組みに動機づけられており,道徳直観にもそぐう.
- さらに,道徳的に無関係な考慮点についての直観2つを説明できる.
-
もし特定の個人の視点からだけ道徳原理を評価するとしたら,〔ものごとの〕尤度を勘定に入れるのはしぜんだ. - 相互扶助〔mutual aid〕原理の例:カントの第4の例.もらうより与えるほうが多くなりそうだと予見できるひとたちは,相互扶助に義務義務を負わないという原理を拒否する理由がより少なくなるか? - こういうのを排除したかったら,無知のヴェール的ななんかが必要だ,ということなのか?
-
排除するしかたは3つある.その1:無知のヴェール.
- 〔個々人で便益がいろいろちがうということを考慮に入れないやりかた〕
- 幸運にも相互扶助に頼らなくてよさそうなひとも,そうでないひとの窮状を重く考慮する.
-
排除するしかたその2:
- 相互扶助原理が自分に課す正味のコスト〔net cost〕と,保護を自分より必要としそうなひとにとっての正味のコストや正味の便益とを比較することは,多くの場合, 幸運なほうのひとにとって不要.一般的には,不必要にことが複雑になるだけ.
- 原理の理にかなったしかたで拒否できるかどうかを決めるのに必要なのは,以下を順番に考慮すること.
- a: 必要があるならば扶助を得られる,ということが〔自分にとって〕どれくらい重要か
- b: 義務づけられているならば扶助を与える,ということが〔自分に〕もたらす不便の程度
- c: この原理が要請するような形で扶助を与えるというポリシーに立つことの,総称的コスト
- d: 他人がこのポリシーを備えることの,総称的利益
-
aにおける要求の程度と同様,bやcにおいて課せられるものも,少なくとも大まかには,原理それじたいによって特定される.
- つまり原理を理解したひとは,課される重荷が最大限どれくらいになるかも理解する.
- 最大限に重荷を課されたひとでも理にかなったしかたで拒否不可的な原理なら,問題は解決する.〔つまり幸運なほうのひとでも拒否できなくなる〕
- 〔これが,その3.個々人で便益がいろいろちがうので,最大限重荷を課されたひとだけを考慮に入れるやりかた.その1のRawlsの無知のヴェールとのちがいはよくわからない〕
-
相互扶助の原理は適切だと信じているひとの多くは,相互扶助の原理がこの拒絶不可テストを通ると信じている.
- だが理論的には,利益が得られるひとにだけ犠牲を要求する原理もあるかもしれない.〔注19は,たぶんない,という議論〕
- もしあるなら,相互扶助の原理からは,こういう幸運なほうのひとを排除しないといけないだろう.
- だがここ(一部の人を例外とするケース)で問題になっているのは,
- 特定のひとが利益を得られることの尤度ではなく,
- 原理から利益を得るひとに課される重荷の尤度であった.
- 他の条件が等しければという条件を擁護する議論においては,受け入れ可能な原理はすべて,このことが起きがちであるぐらいきめ細かくなくてはいけない,ということが主張されているのである.
- 〔受け入れ可能な原則なら,その原則に重荷を課されるひとはみんな利益を得られて,そうでないひとはちゃんと排除できるぐらい,細かい原則にしないといけない〕
-
ここで主張したのは,原理が理にかなったしかたで拒否可能かどうかは,重荷側・便益側のどっちに入るかについての尤度は抜きにして,重荷がどれだけ重たいか,便益がどれだけ多いか,で判定しないといけない,ということ.
-
確率で割引しないとすると,以下の2つが区別できない.
- わずかな確率で他人に危害をくわえるリスクのある活動に従事する人々にその活動を許可する原則を拒絶する理由
- 確実に同程度の危害をくわえる活動を許可する原則を拒絶する理由
-
もし確率を考慮するとしたら,やりかたは2つある.〔しかし両方ダメ〕
- 確率考慮法1:全員が自分が利益/損害をえる尤度を勘定に入れることを許す.〔カネモチが相互扶助から出ていってしまうのでダメ〕
-
-
確率考慮法2:人口に占める割合を重荷が課せられる尤度とする.〔個人に課せられる重荷の話になるので〕
- しかし,これをやると,少数派のなかからランダムに1人選んで危害を加えるような原理を拒否する余地がなくなる.
- 〔臓器クジ〕
-
これがまずいのはなぜか?
- 確率が不満を縮小してしまうからだ,と一見したところ思えるが,そうではない.
- 確率は,行為者が加害しないようにするためにどれぐらいの配慮〔care〕が必要になるかの指標となるから使うものだ.
- 〔確率を考慮に入れるのが悪いのではなく,考慮に入れるやりかたがまずいのだ,と言いたい?〕
- 航空事故で地上のひとを死なせてしまうことがたまに起きるにもかかわらず航空機を使うケースのように,確率的に副作用が起きるケースでは,確率でひとを選んで医療実験に供するケースとは違う反応をしている.これを説明したい.
- コストとして考えるべきなのは,加わる危害の大小ではなく,危害を避けるのに必要なコストだ.
- 「理にかなった警戒」によって,要求される配慮の水準を決めるべきだ.これを上回る要求をするのは制限が強すぎて,理にかなったしかたで拒否できてしまう.
- 異常なケースを除けば,これで我々の反応を反映できていると思う.
-
これまで,候補となる原理は,総称的な形にしてあった.では,その形で書けない原理はどうやって排除するのか.
- 我々それぞれの個人的観点から重要となる理由の多くは,我々と他人たちとの区別に依存している.
- 重荷の免除や特別な利益を自分たちだけに与える原理が,いちばん好まれる.
- しかもこれは他人たちにコストを課さないものもある.
- 協調枠組みはほとんどがそう.利益を自発的に受け入れた者に,利益を提供するめに担当ぶんをやることを要求する,という原理があったとき,その原理から1人の人物が除外されているときには,だれも不利益を被らない.
- 〔働かないやつが1人ぐらいいても枠組みはもつので.〕
-
こういうのが道徳的に排除されるというのは直観にそぐうが,どうやって排除するかの筋道は説によってちがう.
- ロールズ:原初状態で選ばれる正義の原理は,総称的である.そうしないインセンティヴがないので.
- とはいえ,固有名を正義の原理に含めないというのはいいとして,確定記述をどう弾くかが問題.
- Rawlsは八百長の〔rigged〕確定記述を排除する,と言っているが,原初状態でどれが八百長なのか判断するには哲学的困難がある.
- ロールズ:原初状態で選ばれる正義の原理は,総称的である.そうしないインセンティヴがないので.
-
Hare:道徳の概念に,固有名のぞく,というのが入っている.
- ただし,八百長の判定はむり,とも言っている.普遍命令〔universal imperative〕として受け入れる理由がある原理はどれか,というのを見ることでのみ,どの記述が道徳原理かを判定することができる.
- Scanlon自身は,Rawlsと同じく,形式的基礎によって固有名・確定記述を排除できると考えている.だが,どんな基礎で排除するかがRawlsとはちがう.
-
3章で,ほとんどの「原理」は特定の規則とか,道徳的論争の「定理」や結論のような言語的定式化とかと同一視することはできない,と述べたのを思いだしてほしい.
- だから,目下の問題は定式化の論理形式についてのものではなくて,道徳的論争に現れる理由の種類にはどういうものがあるか,というもの.
-
固有名は,特定の個人を選び出す方法を提供する装置だ.
- こういう装置に頼った原理を支持する理由は,特定のひとを気に入る理由(または気に入らない理由)になっているだろう.
- 〔確定〕記述の場合,個人を選び出すにしても偶然的で不正確だ.
- 〔いずれにしろ,〕この個人は気に入るとか気に入らないとかいう信念だけを理由にして道徳的議論に入ってきた記述だと,その記述は「八百長だ」と直観的に感じる.
- 〔固有名でも確定記述でも〕どちらの場合でも,問題は,ある原理が特定個人を援助したり危害を加えたりするという事実が,根拠になるのか,ということ.
- その原理を選ぶことの根拠になるのかどうか
- そういう作用のない代替の規則を理にかなったしかたで拒否する根拠になるのかどうか
- Scanlonの答え:ならない.むしろ,その規則じたいを理にかなったしかたで拒否する根拠になる.ではなぜそうなのか?
-
我々は,自分だけは他人に対する援助や危害を避ける配慮を免除される,というのを好むかもしれない.
- だが1人だけを要求から例外とする原理が妥当でない理由のは,ほとんどの場合あきらかだ.
- 原理が行為者一般に課す重荷があるというだけでは,援助の一般的要求を〔私が〕拒否するには不十分,というのは仮定から導ける.
- ほかのひとたちも免除を望む理由を持っており,拒否しようとする私の場合だけ特別なことはないもないから.
- 私だけが特別につらい重荷を負わされてるんじゃないんだから,自分だけ要求を免れようとするのを認める理由は,ほかのひとたちにはない.
- 〔これは原理が必ず総称的な形である,と論点先取しているだけでは?〕
-
しかしながら,1人もしくは少数に免除を与えるが,他人に重荷を課すわけではない,というケースがあって,そっちがもっと問題である.
- 例:協調枠組みの場合の,ただ乗りの誘惑を考えると,協調枠組みを安定させるように調整する原理(Rawlsの公平の原理など)からも便益があるので,そういう原理を拒否するのは理にかなっていない.
- だが,たいていの場合そこまで調整する必要はない.
- 投票:大多数が行けばよく,少数派が行かなくても問題にならない.
- 芝生に入る:大多数が入らなければよい.
- 干ばつ時の〔取水〕制限:大多数が取り過ぎなければよい.
- だが,たいていの場合そこまで調整する必要はない.
- 例:協調枠組みの場合の,ただ乗りの誘惑を考えると,協調枠組みを安定させるように調整する原理(Rawlsの公平の原理など)からも便益があるので,そういう原理を拒否するのは理にかなっていない.
-
公平な枠組みのもとで他人の参加から利益を受けると決めたならば,だれでも要求も満たすべきだ,という要求をする,Rawlsの公平の原理のような原理について,我々は追加条項を入れたくなる理由を持つ.〔reason to want〕
- 追加条項:もし全員の参加が必要でないなら,,自分は要求から免れる,という条項〔rider〕.
- これは条項に個人の特定が入っている.不偏原理に,個人iを優遇する〔"i-favoring"〕条項を追加する.
- だが,嫉妬を無視すれば,べつの個人jを優遇する条項の追加も,だれも優遇しない中立的なポリシーもちがいはない.〔j条項の追加が個人iに重荷を課すようなケースではないので〕
- すると,〔全員ぶん同じ免除条項が追加されるだけで,中立的な場合と比べてなにも悪くなっていないので〕他人を優遇する免除であるというかどで原理を拒否する理由はだれにもなくなる.
-
だが,恣意的に1人の人物だけを他人より優遇する理由を我々は持っており,かつ,そういうポリシーは不公正だ,とScanlonは考える.
- それぞれの人物について,自分だけを優遇する原理を好む理由がある.それらのうち1つの原理が拘束力を持ったとして,それを支持する理由がほかにない場合を考える.
- その人物が優遇されることを望む理由だけが,正当化なしに,他人のより上回っていることになる.
- 原理1つを選ぶのが恣意的だというのは,このことによってである.
- さらに,その原理を拒否可能にもしている.
- この反論は,固有名を本質的に使っている原理や,「八百長」的な記述に依存している原理に当てはまる.
- それぞれの人物について,自分だけを優遇する原理を好む理由がある.それらのうち1つの原理が拘束力を持ったとして,それを支持する理由がほかにない場合を考える.
-
もちろん,恣意的でないしかたで1人の人物に好意的な原理というのもありうる.
- これは「八百長」で優遇されるひとを選んでいるわけではない.重荷を公平に分け合うという理由があるので.
- 特定の人物の便益願望に応答して,他人の同様の主張を無視しているわけではない.
- 特定の記述を満たすひとに大きな便益を与える〔require〕ことを目的とした協調枠組みもありうる.
- 全員が貢献しなくても事足りるときには,貢献から解放されるひとを,公平なメカニズムで決める,という枠組みもありうる.
- 〔重荷を公平に分け合うということであれば,当たったやつに重荷を全部載せするのも公平なのでは?→臓器くじは公平ではあるけどべつの理由でだめ,ということかも.〕
- これは「八百長」で優遇されるひとを選んでいるわけではない.重荷を公平に分け合うという理由があるので.
〔pp. 213-218〕
-
〔この節の流れ:合理的拒否可能性をなにに基づいて決めるか.〕
- 〔権利に基づいて決めるなら契約説は不要になってしまう,というわけではない.〕
- 〔福利に基づいて決めるしかないわけではない.〕
- 〔福利に基づいて決めればうまくいく,というのはよくある誤解.これは誤解する事情がちゃんとある.〕
- 〔理論への2種類の循環批判に,一見うまく答えているように見えるから.でも実際はダメ.〕
- 〔契約説は福利に基づかなくても,理論への2種類の循環批判に応答できる.〕
- 〔福利に基づいて決めればうまくいく,というのはよくある誤解.これは誤解する事情がちゃんとある.〕
-
ある原理が理にかなったしかたで拒否可能かどうかを決めるには,いくつもの観点から検討しないといけない.
- 主な受益者の観点:この原理には,強い総称的理由が主張できる〔there … be reasons to insist on the principle〕.これより取り分が減る原則は拒否する総称的理由もある.
- その原理に制約される行為者や,べつの原理の受益者の観点:〔制約されたり,取り分が減ったりするので〕拒否する理由がある
- どんな考慮点なら,総称的理由と呼ぶに値するのか?
- 総称的理由どうしが対立したらどう評価したらいいのか?
-
権利性という前観念〔prior notion〕に訴えて答えるのだとすると,契約説の枠組みは不要になる.
- だから契約説のテストを適用するときには,権利や資格〔entitlement〕の主張はやめ,そういう主張のないケースに注目しないといけないように思えるかもしれない.
- これは,ある原理に与する総称的理由や反対する総称的理由の相対的な強さは,いろいろな立場のひとの福利にもたらす,原理の効果や効果の不在の関数になっているべきだ,ということだと思えるかもしれない.
- この場合,問題になるのは福利という観念をどう理解するか,そしてこの意味での福利が理由の強さとどうかかわるか,ということになる.
- 遅れをとったひとの福利が最低水準になるというのが最強の反対事由になるのか?
- 格差が最大になってしまうことが最強の反対事由になるのか?
- それとももっといろんな要素が入る? などなど.
-
契約説は権利性という前観念をまったく使わない,と考えるのは,魅力的だが誤解.
- 問題となっている原理じたいが前提する資格に依拠して決めるのがまずい循環になるからといって,正も資格も想定しないで「理にかなったしかたで拒否可能性」を評価しないといけないわけではない.むしろそんなことは不可能.
- さまざまな立場の個人の厚生にもたらす含意を基礎に原理を評価したのとほぼ変わらないケースであっても,ほかの道徳主張を前提して,その原理を理解する文脈を作ってやらないといけない.
-
例:必要に応じて互いを助ける義務を定義する原理
- 厚生を考慮するのが優勢なケースに思えるが,権利の枠組みなしではこの原則を理解できない.
- 必要とされる資源を使う権利が援助者にある〔よそから盗んで援助にまわしたらだめ〕とか,ほかの競合する義務から自由であるとかでないと,行為者はだれかを助ける立場に立てない.
- 援助される側であること,というのも同様に,権利がかかわることだ.
- 原理のスコープ(要求される行為の範囲)を理解するには,権利の枠組みを前提する必要がある.
- 契約説も,ほかのほとんどのまともな立場と同様に,道徳的正当化についての全体論を伴う.
-
契約説は,福利だけが問題になるような正当化の「根本水準」がある,という考えに基づいていない.楓理が理にかなったしかたで拒否の基礎の構成要素となるとしても,根本水準があるというのは誤解.
- 誤解1:福利の喪失で苦しむ可能性が道徳的議論において力を持つ,というのは実質ある道徳的主張である.〔ないというのが誤解〕 - ほかの道徳的考慮点よりも優越した地位をこの主張に与えることになるので.
- 誤解2:ほかの道徳的考慮点が出てこないケースかどうかを決めるのは,特定の道徳枠組みである.〔枠組み中立的だというのが誤解〕 - 福利の得失が優越することもあるし,責任についての問い(自分の失敗で起きたということが,援助してくれという主張を弱めるかどうか,など)が出てこないこともある. - でもどれがそのケースなのかは,道徳的前提なしでは決まらない.
-
理にかなったしかたで拒否を計るのに福利を基礎として使わないかぎり,契約説はまずい循環論法になってしまう,と思えるかもしれない.
- だがそうなってしまうのは,道徳主張のなかで福利主張だけが特別にさらなる正当化を必要とせず,ほかの道徳主張が説明することの基礎として福利だけが適切である,というときだけ.
- よくある見方なので,なぜこの立場が受容可能に見えるのか,というのは,説明する価値があることだ.
- この観点からのこの総称的理由は,もしくは原理を拒否するのに関連するか,もしくは決定的でさえある,という主張に反論する方法は,2方向ある.
- 方向1:問題の考慮点がそもそも総称的理由になっているかどうかを疑問に付す.
- 同じ立場のひとならだれでも気にかけるべき理由がある考慮点なのかどうか.
- 〔総称的理由だと称されている考慮点をcare aboutする理由,となっている.つまり理由の理由になっている.次のパラグラフの例を参照〕
- 同じ立場のひとならだれでも気にかけるべき理由がある考慮点なのかどうか.
- 方向2:契約説が記述するような相互的正当化によって,重みが与えられている理由なのかどうかを疑問に付す.
- 方向1:問題の考慮点がそもそも総称的理由になっているかどうかを疑問に付す.
〔pp. 215-216〕
-
この2つの反論方法は,「循環」という批判が2とおりあるのと対応している.
- この原理は不公正だから拒否するのが理にかなっている,という主張を考えよう
- 批判1:問題の状況にあるひとは,不公正さそれじたいに反対する理由を持っている,と前提しているじゃないか.
- 福利が減らない場合にも不公正さを気にしないといけないのはなぜか?
- 批判2:「不公正さ」を基礎にした反論が道徳的効力を持つと前提しているじゃないか.
- だれかがこの反論をする〔raise〕理由を持っていたとして,疑問を受け入れる理由を持つことになるのは,相互的正当化を考慮しているやつ〔=Scanlon派〕だけ.〔ほかのひとは不公正さを基礎にした反論に道徳的効力を認めないかもしれない.〕
- 批判1:問題の状況にあるひとは,不公正さそれじたいに反対する理由を持っている,と前提しているじゃないか.
- この原理は不公正だから拒否するのが理にかなっている,という主張を考えよう
-
循環からの批判が,福利を考慮する場合だけは無効になると考えるのはなぜか?
- 第1の批判の場合
-
苦痛や怪我を避けて便益を得たいと望む強い理由が,個人には典型的にある,というのはたしかだ.〔これが福利が基礎に見える事情の1つ.〕
-
でもそれだけがひとの望みではない.具体的な不利益だけが原理を拒否する理由になるのはなぜか?〔という問いは残っている.〕
-
〔いっぽう契約説はどうか.〕あることが契約説的でない基準に訴えると不正であるという事実を使って,原理を拒否する理由を与えているなら,たしかに循環だ.
-
でも,契約説的でない基準か福利喪失か,というだけが反対事由〔の候補〕ではない.
-
ひとについて恣意的に優遇主張をする原理はだめ,なぜならそれは不公平〔unfair〕だから,という理由もある.
- これはそういう原理が不正だとか,その原理が許可する慣習が不正だとかいう考えに依存した理由ではない.
-
- 第1の批判の場合
-
福利1本に還元せず,異なる道徳観念を統一された道徳枠組みで扱える点が,ほかの説にはない契約説の重要な強みだ.
- これをうまくやるには,個々のケースでそういう観念を取り込んだ原則を主張する理由を,ひとはなぜ持つのか,逆にそういう観念を取り込んでない原則は,なぜ合理的拒否可能なのか,を説明しないといけない.
- 公正さがないとだめ,というケースについてはさっきやりました.
- 選択の道徳的効力,責任についてもあとでやります.
-
循環からの批判が,福利を考慮する場合だけは無効になると考えるのはなぜか? 第2の批判の場合はどうか.
- 福利の効果から出るやつ以外の総称的理由もある,という主張をしたとすると,これは単に実質ある道徳的主張であって,まずい循環になっている,というのがこの批判の中身.
- 〔ifの中身もややこしいが,これはgeneric reasons not arising …を relevant objections to a principleとしてcountする,ということ.次のthis can onlyはif節全体を指す.〕
- 福利以外の総称的理由などない,という主張だと第1の批判と同じことなので,第2の批判は,福利以外の総称的理由もあるけどそれは道徳的に重要ではない,という批判としてとらえることにしよう.
- 福利の効果から出るやつ以外の総称的理由もある,という主張をしたとすると,これは単に実質ある道徳的主張であって,まずい循環になっている,というのがこの批判の中身.
-
第2の批判へのScanlonの応答:
- この考慮点は,ある原則を拒否するための,関連する理由や決定的理由を構成するなあ,という判断は,どんな考慮点についての判断であろうと,道徳内容を備えた判断〔a judgement with moral content〕である.
- だが,「よい人生とはどんなものか」に基づく理由が問題になっている場合だと,このことは見過ごされがち.
- 福利は,1人の理性的個人の見地から単純に取り出してこられるwell-definedな観念ではない.3章で論じたように,個人の福利の境界がどこまでかは不可避的にあいまい.境界を決めるにも,実質ある道徳的選択が必要だ.
- この考慮点は,ある原則を拒否するための,関連する理由や決定的理由を構成するなあ,という判断は,どんな考慮点についての判断であろうと,道徳内容を備えた判断〔a judgement with moral content〕である.
-
循環を免れていないのは「福利説的契約説」だけではないとした場合でも,「福利説的契約説」は,提案された原則を拒否するのにこれは理由になるかなというのを査定する基準が,福利の特定の概念把握だけだ,という主張になる.これは正不正の本性についてのとても強い主張だ.
- 契約説の構造はどれも同様だと思われるかもしれない.
- 原則の理にかなったしかたでの拒否に使える基礎を特定する
- 基礎どうしの相対的な強弱を決める方法を特定する
- 契約説の構造はどれも同様だと思われるかもしれない.
-
しかし,Scanlonの契約説はこの構造をとらない.べつの目的がある.
-
道徳のこの部分〔原則の合理的拒否?〕の主題となることがらと,その規範的基礎とに,統一された説明を与えること
-
明らかな実質的含意もある.責任の道徳の中心概念として,「理にかなったしかたで拒否不可を基礎にした他人への正当化可能性」をとるので,排除される考慮点があるし,他人をすべて関連するもの〔definitely relevant〕として扱うことになる.
- この含意はこれ以降の節で詳しく見る.
-
だが,これですべて説明されたというわけではない.
- たとえ福利説的契約説をとったとしても,状況を特定したときにどの福利減少が原則の合理的拒否の基礎になるのかについて,我々の判断に頼らないといけない.
- これはScanlonの契約説でも同じで,どの考慮点が基礎になるのかについて判断しないといけない.〔…, we must exercise judgement …〕
-
基礎についてもっと狭めた契約説もありうるし,かぎられた道徳領域ではそれは目指してよいと思うが,いま提出しようとしている水準の一般的な理論としては見込みがないとも思う.
-
いま提出しようとしている水準とはつまり,「道徳」の全領域ではないにせよ,お互いさまであることという大きな部分をまかなう説明である.この問い〔どの考慮点が基礎になるのかの問い?〕には,この説の内実をもっと説明してから,10節で戻ってくることにしよう.
-
-
合理的拒否可能な原則の必要条件は,以下のいずれかを満たすこと:
- 自分の実践的思考の一部としてその原則を入れるのを拒否するよい理由がふつうある.
- 他人はそれを正当化に使うとしても,その考慮点を基礎と考えるのを拒否するよい理由がふつうある.
- 理にかなったしかたでの拒否に際し,以下は満たさなくてよい:
- その原則が許諾してしまう行為の 帰結が,理にかなったしかたでの拒否の理由になっている
- その原則が許諾してしまうある行為が一般的に実行されることの帰結が,合理的拒否の理由になっている
- よい理由があるほかの価値を認識〔recognize〕できなくしてしまう,というのも拒否の基礎になる.
- 例:友人もよそものも厳密な意味で中立的に扱え,という原則は,友愛の価値や態度と相容れないから受け入れられない.〔この場合にどっちが拒否されるかは決まらないと思うのだが,友愛は契約説からもっと直接的に出てくる,と言えるかもしれない.〕
-
理にかなったしかたでの拒否に際し,その原則を受け入れたときや,他人にその原則を受け入れさせたときに,その福利にどういう影響があるかに基づいた理由である必要もない,と論じた.たとえば公平さについて論じたとき,正当化なしで他人に特権的な道徳的地位を与えるというだけで,そういう原理を拒否する〔公平さのある原理でなければダメとする〕のに十分だと主張した.
- しかし,福利じゃないとしても,個人的価値と呼びうるものではあるかもしれない.だって特定の立場にある個人の地位やそこからの主張に基づいているから.
- では,不偏的な基礎によって原理が拒否される,ということはあるのだろうか?
-
ないといかんように思える.
- 多くのひとがグランドキャニオンとかを壊してはいけない理由を,それはそれじたいに価値があって保護し尊重すべきだからだと考えていて,壊すことが個人の利益や主張と矛盾するからだとは考えていない.
- この種の不偏的理由というのがあるとしたら,これを原理理にかなったしかたで拒否の基礎として考えていけない理由はなにかあるか?
- グランドキャニオンの価値が,それを保護したいと私が思う理由となっているのだとするうと,それがグランドキャニオンの価値を無視してダムを作ることを許諾する原理を拒否する理由にならないわけがあるか?
-
この問いに答えるうえでは,いま特徴づけようとしている道徳はどの部分なのかが重要になる.
- 答えたいのは,あるカテゴリーの道徳概念,つまり「お互いさまであること」の要請である.
- 原理拒否理由は,ほかの個人に負っていることを考慮するという,特定の形式と対応している.不偏的理由はこの形式にならない.
- 対象じたいの価値から来ているのであって,他人との関係に存するなにかから来ているのではないから.
-
古代遺跡を破壊してもだれかに不正を働いたことにはならないからといって,そうしない理由はなにもないとはならない.
- もっと広い意味で「不正」を使えば,やはり破壊は不正だ.
- 他人に負っていることに基礎がある理由ではないというだけ.
-
というわけで不偏的理由は理にかなったしかたでの原理拒否の基礎を提供しないが,理にかなったしかたで拒否のほかの基礎を決定するのに重要な役割を果たしている.
- いろいろなしかたでそうなるが,たとえば,個人が価値ある活動に従事できるようにする,という利益に基づいたしかたがある.
- 例:グランドキャニオンを壊したら訪れて満喫できなくなってしまう.
- これは個人的理由だが,理由としての効力は,不偏的価値についての判断に部分的に依存している.
- いろいろなしかたでそうなるが,たとえば,個人が価値ある活動に従事できるようにする,という利益に基づいたしかたがある.
-
原理を拒否する総称的理由は,その原理から出てくる実践的推論が自分の持っているほかの価値と衝突する,というところからも出てくる.
- すると,不偏的理由を無視するから,というのは拒否理由にならないだろうか.
-
だが,当該の原理が不偏的理由を無視することを許可〔permits〕するだけなのであれば,この種の基礎で拒否することはできない.
- 正不正の話ではないから.
-
当該の原理が不偏的理由を使うことを禁止したとすると,これは真正の対立になる.
- 例1:自然物を壊そうとしていたら止めろ,というのは,他人干渉禁止原理の例外になりうるが,無視される.
- 例2:ひとの命をなるべく助けろ原理は,ほかの種の絶滅が唯一の手段でもそうしろという.
- 例3:約束守ろう原理は,傷ついた動物を苦しめて死なそうとしているとしても守れという.
- 4章のおわりでやったように,契約説を「受託関係」で解釈した場合,動物の受託者が理にかなったしかたで拒否することを考えることもできる.だがこの解釈がなくても,動物の苦痛は不偏的に悪いことから,拒否できると考える.
-
特定の不偏的価値を認識しているひとは受け入れられないような原理の例をあげた.
- このことが原理拒否理由として通るかどうかは,不偏的理由,つまりそれがほんとに価値があるのかに依存している.〔注23〕
-
だが原則拒否する際に考えなければならないような理由だと言ったからといって,例外を設けない原則でもその理由で合理的拒否可能だと言ったことにはならない.
- 総称的理由がどう競合するかによって変わる.つまり不偏的価値についてどういう結論を出すかで変わる.
- 例3の場合:動物の苦痛と人間の不便とのどっちが責任に強く影響するかで変わる.
-
不偏的価値はそれじたいが原則拒否理由にはならないが,なにがお互いさまなのかをこれ抜きで決めることはできない.
- 2つのカテゴリーの価値が対立したとき,その対立を和らげはするが,なくしてしまうわけではない.
〔Let me …〕〔It is …〕〔The idea …〕〔The cases …〕〔This priciple …〕〔These principles …〕〔The two …〕〔We have〕
-
この原理を受け入れてもらわないと最悪の状況になるひと,というのがいるとき,そいつの立場から出た理由に特別な重み付けをするべきか?
- Rawlsの格差原理ではそういうことをやっている.
- 契約説の推理には,こういう重み付けをするという一般的な特徴があるのだろうか?
-
この特徴はある.しかしそれは契約説の特徴というより,特定の原理を拒否する特定の総称的理由についての事実を反映したものだ.
- 〔そういう原理があって,そこには重み付けが効いている.〕
- この形をとらない道徳の論法も,契約説の重大な一部ではある.保護や保証の形をとる原理なんかはそうだ.
-
保護や保証という形をとる原理の場合よりも,財の分配についての原理の場合のほうが,この重み付けは受け入れられやすくなる.
- 契約説による正当化の一般的な構造を見るかわりに,この特別なケースで考えよう.
-
救難原理:ヤバい窮状をわずかな献身で救えるならば,そうせよ.
- 理にかなったしかたで拒否不可原理の1つだ.
- (際限ない犠牲をほんの少しの前進のために要求することがなければ)
- 〔再分配を動機づける原理になっている.〕
-
もっと激しい献身を要求する強い原理もありうるが、もっとちがう状況に適用される弱い原理もある.
- 助力の原理:重大な犠牲なしで援助できるなら,それがヤバい窮状から救うのでなくても,援助せよ.
- 助力の原理も理にかなったしかたで拒否不可原理.
- 〔これも再分配を動機づける原理になっている.〕
-
ところが,救難原理も助力の原理も,もっとゆるく〔less narrowly〕線引きしたら,理にかなったしかたで拒否可能になる.
- 〔わりこみ原理〕:決定するときにはいつも,自分の利害と他人の利害とに同じ重み付けをせよ.
- このわりこみ原理が理にかなったしかたで拒否可能なのは,適用するたびにコストを比較してのことではない.
- この原理を受け入れたときの一般的コストが,だれにとっても高すぎる,という総称的理由から可能になっている.〔決定に際して重み付けという仕事がつねに割り込んできて,決定が難しくなってしまうから.〕
- つまり,理にかなったしかたで拒否の可否を考えるにあたって,きわめて不偏的な推理をすると,個々の決定を不偏的にやることは必須ではない,ということになる.
-
もとの救難原理や助力の原理は,個々の判断にわりこみ原理ほど割り込んでくることはないので,理にかなったしかたで拒否不可だ.
- 〔ただし,〕契約説は,それだけでは,どのぐらいの水準の献身を要請するかを特に定めるものではない.
- 〔だからどのぐらい割り込んでくるかの判断は必要だが,〕この判断はどんな説でもなしですますことはできない.
- 〔救難原理は拒否不可,わりこみ原理は拒否可能で,その線引きを契約説が提供できるわけではなく,判断が必要だが,それは契約説特有の欠点にはならない〕
-
救難原理は助力の原理より強い
- 高い水準の献身を要求する.
- 2つの原理が対立する場合は,救難原理が優先される.
- これは,救難原理を弱めることを拒否する総称的理由のほうが強い,ということを反映している.
- 〔救難原理の要請よりも助力の原理の要請を優先して満たす,ということを拒否する総称的理由のほうが,効力がでかい,とか.〕
- 〔たとえば,自助原理みたいなやつを考えると,助力の原理の要請とぶつかったときは自助原理の要請が勝つが,救難原理の要請とぶつかったときは自助原理の要請が負ける,ということもある.〕
〔With these principles …〕〔Does contractualism …〕〔As I …〕
-
この推理には,最悪になるひとへの重み付けが反映されているのか?
- これがわかりやすいのは,2人のうちどちらか片方しか助けられないとき.
- Nagel: 現時点の質ではなく,人生全体の質で見て悪いほうを助けなさい.
-
〔先に例を出しておく.〕
- 〔A:いま助けると1ヶ月苦しまないが,いずれにせよその後5年苦しむ.〕
- 〔B:いま助けると2ヶ月苦しまないが,いずれにせよその後苦しまない.〕
- 〔どっちを助けるべきですか?〕
-
人生全体の福利の質を無視して,助けられたときの福利の差分で決める,という原理が,福利が低いほうの立場からみて理にかなったしかたで拒否可能ならば,Nagelはまちがっている.〔Nagelは,人生全体を無視してもよいというケースがある,と言っているので.〕
- このことは,救難原理が助力の原理より強いということから導けると思えるかもしれない.
- たしかに,救難原理の対象になる,危機に瀕しているひとというのは,人生全体でもやはり福利水準が低い.
- 溺れているひとは,ほっといたら死ぬ.〔人生全体の福利が小さくなる〕
- だが,危機に瀕しているひとを助けるというのは,助けたときの福利の差分という点でもやはり大きいことが多い.
- だからこれだけではNagelが正しいかどうかは決まらない.
-
違うmodesを考えると,程度の問題かどうかははっきりするが,そのときに〔人生の福利の〕水準のちがいが道徳的効力を持つかどうかははっきりしない.
-
Bが腕1本失うか,Aが手首を骨折するかを選ぶとき,Aの人生これまでうまくいっていたとか,逆にAの人生が不運にも挫折に見舞われてきたとかいうことが関係あるか?
- 〔差分が大きいのでBを助けることを要請する原理があったとき,これまでの人生という初期状態を持ち出すことで,その原理を拒絶するのを基づけられるか?〕
- 〔この例では身体的危害と目標達成とのあいだでmodeがそろってない〕
-
Scanlonとしてはないと思える.〔mode, aspectを揃えていないから〕
-
-
悪いほうのひとを優先せよ,というのは,助かったことで上がる福利の側面と,悪いほうのひとだというときの悪さの側面とをそろえるとわかりやすい.
- 〔苦痛でそろえた例.〕以下のどちらを助けるか選ばないといけない:
- A:いま助けると1ヶ月苦しまないが,いずれにせよその後5年苦しむ.
- B:いま助けると2ヶ月苦しまないが,いずれにせよその後苦しまない.
- Aの立場からは,Bを助けることを指令するような原理を拒否する総称的理由がある.
- これはじつはAのほうが差分も大きいのだからあたりまえだというひともいるかもしれないが,未来の見通しが暗いせいでAが自分に1ヶ月でも痛みがないことを高く価値づけるとしても,それがBの2ヶ月の苦しみに値するほどかどうかは疑わしい.〔だから,Aのほうが差分が小さい,というジレンマ的前提のままでよい.〕
- だから,Aが自分の苦痛についてなにかしてくれという主張を強めているのは,Aのほうが状況が悪いということに他ならない.
- 〔苦痛でそろえた例.〕以下のどちらを助けるか選ばないといけない:
-
ということで,福利の水準が悪いほうを優先するというとき,Nagelのいうように人生全体の質を見るのは誤りで,福利の特定の側面での水準だけが関連する.
- 「他人の福利を増大させる義務」とかは全側面を対象にしているが,我々の強い義務はすべて,もっと狭い形をしている.
-
これはRawlsの格差原理とのちがいでもある.
- 格差原理はすべての選択に割り込んでくるものではない.基本的な社会制度の正義を評価するためのもの.
- 人生全体の質は,個人の行為の原理よりも,Rawls的な正義の原理にとって重大である.
-
格差原理は平等な便益配分の原理だ.問題は,そこから離れることが正当化されるか,正当化されるとしたらいつか.
- 最悪なひとを優先するのは,博愛主義から来ているのではなくて,便益の配分が本来の平等より少ないから.〔だからほんとうに優先というわけではない〕
-
Nagelは平等の概念から一般的な優先性が出てくると考えていた.これは,悪いほうの窮状がそれほど悪いわけではなかったとしても,本人の責任なく差が大きくなってしまうのはまずい,というもの.
- だが,これはRawlsのもっと特定された〔制度の評価だけに絞った〕平等や,契約説が使っているもっと一般的な〔個人にも適用される〕合理的拒否とは異なる.
[All …][These …][The …]
-
Parfit 1991:Scanlonのモデルは「不満モデル」〔Complaint Model〕だろ? その原理が適用されたら困る,という個人の総称的理由によってのみ,原理を拒否しうる.
- ちょっとちがいます.
- ある原理に反対するなら,反対者は自分がそれに影響を被るのでないといけない,ということはない.たとえば不公平な原理は,その原理を受け入れると自分の立場が悪くなるのでないとしても,拒否可能.
- 福利のような価値が直接的に影響を受けるということ以外に,背景にあるほかの原理との関係からも拒否可能.
- ちょっとちがいます.
-
でもおおむねそれで合っていて,個人の総称的理由に着目するのが,契約説のいいところ.
-
帰結説は単純な構造と,価値を福利など単一のものに限定するのが魅力だが,目指すのがその価値の和の最大化なので,へんなことを正当化してしまう.
- 小さな価値をじゅうぶん大量のひとにもたらすならば,大きな犠牲が正当化されてしまう.
- 契約説は個々人主義をとるからこれを正当化せず,魅力がある.
[These …][Another …][There …]
- でも契約説のほうにも,それはそれで問題になる例がある.
- ちょうど同じだけの害を被るひとが何人かいる.このひとたちをふたつの集団に分けて片方だけを助けられるとする.このとき,人数が少ない集団を助けることを指示する原理が,人数が多い集団を助けることを指示する原理と,同じ重みになってしまう.
- 解決案1:個人の総称的理由だけでなく,集団の総称的理由も認めることにしては?
- だめ.契約説の魅力が減ってしまう.
- 解決案2:人数が影響しないことを認める.
- お互いさまであることの理由からは,どちらの原理に従うのも,狭義の不正にはならない.命をたいせつに,というのはお互いさまとはべつの理由なのだ.
- と,決めつけるのははやい
- そもそも,原理の拒否をはかる不満の強さが,その原理の受け入れで影響される福利だけで決まる,という不満モデルをScanlonはとっておらず,福利以外の要因も認めている.
- なにが正しいかが,考慮点合算に依存することもある,これはなぜか,の説明が,要因が多様であることから提供されるかどうか考えよう.
[As …][What …][This …]
- 前節では相互扶助の原理などを見たが,ここでは,他人への致傷や致死を避けることを義務づけるが,集団のうち多いほうと少ないほうとどっちを救うかは好きに決めてよい,という原理〔好きに決めよ原理〕を考えよう.
- 多いほうの集団に属する個人から見て,この原理に反対する理由はなんだろうか?
- この原理は,私の命を軽視している.この原理に従う救命者は,私がいないとき(多いほうの集団の人数が1人ぶん少ないとき)でもいるときでも,行動を変えない(好きに決める)のだから.
- たしかに,助けられるべきひとをそれぞれ同じぐらいの道徳的効力として扱わないこの原理は,理にかなったしかたで拒否可能だ.
- 2集団が同数のとき,どちらを助けるかの理由は釣り合う.片方の集団に1人加わった場合,加わったほうのひとの要求には,この釣り合いを破る〔道徳的〕効力がある.
- 好きに決めよ原理のほか,コイン投げで決めよ原理も,これで理にかなったしかたで拒否可能だ.
- 〔人数に比例したくじで決めよ原理なら,まだ生きている.これはすぐあとに出てくる〕
[Consider, then, a …][It would be …][This argument is …][As argued above, …]
-
では,多いほうを助けよ原理を考えよう.少ないほうの集団に属する個人から見て,この原理に反対する理由はなんだろうか?
- べつの原理だと自分にいいことがある,というのは理にかなったしかたで拒否を提供できない.ほとんどの原理はそういうものだし,代替原理となる好きに決めよ原理は,さっきの強い反論にさらされる.
-
当為を決めるに際して人命にそれぞれ等しい正の重みを与えるのでない原理は,理にかなったしかたで拒否可能だ.
- 多いほうを助けよ原理のほかに,人数に比例したくじで決めよ原理(Broome 1984)も,この制約を満たす.
-
くじで決めよ原理は,人数が多い集団に属するひとが確実に助かるわけではない.多いほうを助けよ原理には負ける.
- ただし,これはくじという手続きが問題なのではない.えり好みよりはくじ,という原理はありうる.
- 問題は,よい実質的な理由によって原理が支持されているかどうか.〔えり好みよりはくじ原理には,〕そういう理由がある.
-
多いほうを助けよ原理は,少ないほうの集団に属するひとの存在も重みづけている.そのうえで,多いほうを助けることは,少ないほうの集団に属するひとに対して不公正ではない.
- くじで決めよ原理も重みづけは反映されている.だが,重みづけを重みつきくじの形に変える理由がない.
- 〔多いほうを助けよ原理は少ないほうを無視しているのではないから,くじに反映される重みづけは,多いほうを助けよ原理にもあったもの.くじ原理にだけあるものではない〕
[I conclude that …][Suppose that Jones …]
-
多いほうを助けよ原理のここでの擁護は,不満モデルとはちがうが,契約説の個々人主義的な基礎はまだ残っている.
- これを入れたことで受け入れがたい合算の問題が生じることはないと思うが,以下の例で確認しよう.
-
テレビ局がW杯の中継をやめないとジョーンズが腕を失うケース.視聴者数に応じて,中継をやめるかどうかを変えるべきか?
- はやくやめるべき.契約説ならこれを説明できる.
-
ジョーンズのようなひとを助けよと命ずる原理を考えよう.
- 深刻な苦痛や致傷からは,楽しみを妨げる不便があっても,その人数に関係なく救え原理.
- 視聴者が,多いほうを助けよ原理のときのようにしてこれを理にかなったしかたで拒否することは,できないと思われる.
- 被る害がジョーンズと視聴者とで同じではないため,釣り合いが成立しない.
[It might be …][It is important …][This question is …][The first question …][My purpose here …][The argument just …]
-
これは行きすぎでは? いまのと同じような〔視聴者の〕便益を足し合わせて,個々人へのもっと大きなコストを埋め合わせる,ということがあるのでは.
- ジョーンズのような害を被る作業者が出るのがかなり確からしいとしても,視聴者の楽しみのためにテレビ塔を建設するケース.
- さっきのケースとのちがいを説明できるか?
-
小さい便益を他人に与えるために大きな害を与えたり助けを差し控えたりするのが,意図的なのか,それとも偶然の事故なのか,ということに注意すると,我々の反応はよくわかる.
- さらに,建設ケースが許されるかどうかは,安全配慮がちゃんとされているかどうかや,作業者がリスクを引き受けるかどうかを選べるかどうかにも依存する.
- だからこの場合の問題は,安全配慮が適切かどうか,それとももっとしっかりやらないとだめなのか,ということになる.
-
この問題は2段階になっている.
- 第1段階:どういう水準の配慮が適切なのか
- 第2段階:その配慮が満たされているか
- この第2段階は,便益を得るひとの人数とは関係ない.
-
第1段階のほうは,他人への深刻な危害のリスクを与えてしまうことや,それに依存してしまうことが世にたくさんあるので,一般的な問題となっている.
- リスクを減らす配慮が適切にされていれば,深刻な危害のリスクがあっても計画を許容する,という原理について考えよう.
- そういう配慮にもかかわらず大けがしたひとの立場からすると,この原理を拒否する総称的理由は明らかだ.
- 他方で,間接直接に便益を受けるひとびとには,厳格すぎる配慮に抵抗する総称的理由があるだろう.
- リスクを減らす配慮が適切にされていれば,深刻な危害のリスクがあっても計画を許容する,という原理について考えよう.
-
この手の問題について一般に思われていることは誤解かもしれない.というのも,もっと高い水準の配慮が要請されたときに支払わないといけない犠牲が,大げさに考えられているので.
- ここでの要点は,この議論がどういう形式をとるべきなのか,にある.
- どういう結論が出るべきか,という実質的な問いではない.
- 契約説:個人の人生のなかでの合算は認めるが,別人の人生どうしの合算は認めない.
- ここでも,必要なのは個人の人生のなかでの合算だけだ.小さい利益の合算をしないと第1段階の問題に答えを出せない,というのは気のせいだ.
- 注42:契約説でも別人の人生どうしの合算を認めるケース.建設は許容できないわけではないが,建設しないほうがマシ,ということはありうる.また,公共資源の利用法としてよいか,というのを考えるときにも,個人間合算は必要だ,と論じることもできるだろう.
- ここでの要点は,この議論がどういう形式をとるべきなのか,にある.
-
個人内合算を持ち出すのはアドホックな手段ではない.これまでにも述べてきたとおり,原理を拒否する総称的理由には,特定のケースでその原理に従ったときの個人の費用便益だけではなく,その原理の一般的な影響も含まれる.
- ここで問われている原理は,1時間の極度な苦痛から1人を救うためなら,どれほど多くの人間が不便するとしてもかまわない,というもの.
- 問題は,この原理が一般的に受け入れられたときに,この原理を理にかなったしかたで拒否できるほど強い,個人内合算された帰結が生じうるか,ということだ.
- Scanlonとしてはありそうもないと考えるし,この原理に近いものに実際われわれは従っていて,たいしたことのない費用〔の個人内合算〕でこういうことが起きるのはじゅうぶんにまれなことだと思える.
- もちろん,こういう一般的救難に対してそれぞれの支払う犠牲をはっきり理解したら,犠牲が大きすぎて拒絶するのもむりからぬことだと結論づけるのかもしれない.(残酷ではあるが不正ではないのだというわけで)
- ポイントは,契約説の枠組みでも放送ケースと建設ケースとが区別できる,ということ.
- 注43はこの原理と救難原理(ヤバい窮状をわずかな献身で救えるならば,そうせよ)との関係について.救難原理が理にかなったしかたで拒否不可的であることの要素として,こちらの原理にかかるコストがあげられる,と述べている.
[I have argued …][The second objection …][This might be …][Could such a …][This is still …]
-
ここまで,契約説が支持する原理は,個人どうし被る害が同じなら,人数が多いほうを助けよ,というものではあっても,小さな害を被るおおぜいのひとを,もっと深刻な負傷に直面するが数は少ないほうよりも助けよ,というものではない,と論じてきた.
- 前者では人数が道徳的に関係するのに,後者では関係ない,ということになる.このことについて少なくとも2つの反論がありうる.
- 反論1:ほんのちょっとだけ害の大きさが違う場合,後者だということになるのか?
- 回答:前者と後者との区別をつけるのは,道徳的深刻さについての広いカテゴリーのちがいだ.
- 苦痛が少し長引くとか,指を2本ではなく3本失うとかは,とても深刻な喪失と中程度の喪失とのちがいにはならない.
-
反論2:前者の原理であまり受け入れられない帰結が出ることもあるのでは?
- 溺れているひと1人を助けるために,ビーチにいるおおぜいのひとに,海に入らないように警告をしないケース.海は汚染されており,ここで海に入ると,死にはしないが深刻な危害を被る.
- Scanlonの立場では,何人が深刻な害を受けようが,命を救うほうが許容されるし,それが要請されることにすらなってしまう.
-
もちろん,1人の命と1人の全身麻痺とを比べると,前者を助けなくてはいけない.だが,1人の命と多数の全身麻痺とを比べると,後者を助けなくてはいけない,かどうかはそれほど明らかではない.
- もし明らかだというのなら,そういう我々の直観的な道徳的思考は,法則ケースのような,害との「関係ある」関係によって理解するのがよい.
- 一方の害が他方の害より深刻でないにしても,他方の害と道徳的に「関係ある」ていどには深刻であるならば,両グループで危害を被るひとの数を説明に入れてどちらを助けるか決めるのが適切だ.
- 深刻でないだけでなく他方の深刻なほうの害と関係もしていないならば,被る人数を考える必要はない.
-
では,この区別を契約説に組み込めるだろうか?
- 同率決着論法〔tie-breaking argument〕がありうる.
- 1人の命を2人の命より優先する原理を理にかなったしかたで拒否するときに使った論法と同じ.3人めが加わったのに行為が変わらない,というところを突く.
- 1人の命を,もう1人の命+3人めの一生の麻痺より優先する,という原理を理にかなったしかたで拒否できる.
- 同率決着論法〔tie-breaking argument〕がありうる.
-
1人の命について,何人の四肢麻痺が加わろうがそれより優先して助けよ,という原理は,道徳的に関連ある喪失を適切に考慮できていない,と論じるのは,契約説の枠組みでも可能だ.
[This rather long …]
- まとめ
- 行為の正しさは害を被る人数で変わる,というおなじみの原理を支える根拠は,根本のところで道徳性にかかわるのは便益の総和の最大化を産むものだ,という考えに訴えている.
- 正不正についての契約説では,この根拠を拒否する.
- 行為の正しさは,個人の立場からその原理が拒否可能か,のみに依存する.
- 個々人の要求〔claim〕を強調するのはこの立場の魅力だ.
- 総和だとおかしくなるケースを直観的に正しそうなやりかたで回避できる.
- 「要求」をどう解釈するかで,この制限は強くも弱くもなるが,非常に狭くとったときでも,同率決着論法によって,特殊なケースで行為の正不正に人数が関係することを説明できる.
- 〔個々人主義について〕もう少しゆるい契約説も排除されていない.その場合,個人が自分の利益を考慮することおをどれだけ要求できるかについての構造をもっと与えて,合算原理をもっと広く適用できるようにすることになるだろう.
- 行為の正しさは害を被る人数で変わる,というおなじみの原理を支える根拠は,根本のところで道徳性にかかわるのは便益の総和の最大化を産むものだ,という考えに訴えている.
-
この章で説明したこと:
- 契約説における,理にかなっていること
- 原理を拒否可能な立場
- そういう立場からの総称的理由
- 個人が抱くものだが,そいつの福利にその原理が与える影響についての主張という,個人的理由〔personal reasons〕の形でなくてもよい.
- 異なるひとにもたらされる便益の総和からの原理正当化は排除される.
- ただしいくつかのケースでは,契約説でも考慮点の合算が道徳的に関係することを説明できる.
- まともな道徳原理は,総称的でなければならない
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Scanlonの議論は「下向き」である.
- 理にかなったしかたで拒否可能・不可能の基盤についての結論となる,中心的な動機づけから出発している議論.
- 不偏的理由のを拒否したのや便益合算に直接訴えるのを拒否したのはこれ.
- 「上向き」の要素もある.理にかなったしかたで拒否可能なのが直観的に明らかなケースから始めて,その拒否の基盤をどんなものと理解するのがいちばんいいかを探った議論.
- ほかのケースでどんな帰結が出るかを考えたりもした.
- 〔8節の〕最悪の状況になるひとの優先性の問いについてのものがそれ.
- 理にかなったしかたで拒否可能・不可能の基盤についての結論となる,中心的な動機づけから出発している議論.
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契約説的理論では,なにが「理にかなっている」かについての直観的判断に訴えるのをやめて,「上向き」の要素を捨てるべきだ,ということはないだろうか.
- だってこれは理論なのだから,純粋にテクニカルな推理だけで理にかなったしかたで拒否可能・不可能を決定できるように,理にかなっていることの観念を直観に訴えることなくはっきり特定すべきだ,というわけだ.
- Rawlsの原初状態論法が,そうやって構築した理論の例ということになるだろう.
- だってこれは理論なのだから,純粋にテクニカルな推理だけで理にかなったしかたで拒否可能・不可能を決定できるように,理にかなっていることの観念を直観に訴えることなくはっきり特定すべきだ,というわけだ.
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そのような拡張ができるかどうかやってみよう.
- この種の一般的な拡張が受け入れられない理由を示し,Rawlsの原初状態論法のような例からなにを学ぶべきかを考える.そうすると,理にかなっていることについての直観的判断に訴えることと,拡張した契約説的理論との関係が,もっとはっきりするだろう.
[One natural extension …][It does not …][Consider now how …][But this description …][With these assumptions …]
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自然な拡張の1つは,「厚生説的契約説」だ.
- ある原理が理にかなったしかたで拒否可能であるとは,その原理を受け入れると,べつの原理を受け入れたときのそいつや他のひとが味わえたはずの福利に比べて,そいつが味わえる福利が喪失する,ということである,とする.
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これで正不正の道徳性にまともな説明ができそうには思えない.
- 福利の増大が道徳的議論において持つ正当化の力がすべての状況で安定しているわけではないから,というのではなく,〔道徳的議論において持つ正当化の力は〕明らかに道徳的特徴を持ったほかの要素にも依存しているからだ.
- 考慮点1:責任.私の要求が道徳的力を持つかどうかは,私の運命がどれぐらい自分の行いのせいであるかに依存する.
- 考慮点2:公平さ.私の要求が道徳的力を持つかどうかは,私に便益をもたらすはずの制度がどれがぐらい公平かに依存する.
- 福利の増大が道徳的議論において持つ正当化の力がすべての状況で安定しているわけではないから,というのではなく,〔道徳的議論において持つ正当化の力は〕明らかに道徳的特徴を持ったほかの要素にも依存しているからだ.
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Rawlsの原初状態論法だとどうだろうか.責任を説明できるだろうか.
- 正義の原理を選ぶのに,行為の目的と,その行為が自分たちになすこと(Rawls言うところの「社会的基本財」で決まる)とだけを考えるので,「テクニカル」なモデルとなるように思えるかもしれない.
- つまり,原理の拒否には,特定の社会的地位を占めたとわかったときに残る社会的善の水準にどういう影響を与えるか,という形で主張しないといけない,というモデル.
- 正義の原理を選ぶのに,行為の目的と,その行為が自分たちになすこと(Rawls言うところの「社会的基本財」で決まる)とだけを考えるので,「テクニカル」なモデルとなるように思えるかもしれない.
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だが,Rawlsの議論では,社会の各立場の代表者の「期待」〔expectation.「(正当な)期待」とか「見込み」とかと訳されるらしい〕に,〔それぞれが代表を務めている?〕集団のことを独占的に集約してしまっている.このことのもっともらしさには,以下の〔2つの〕前提が重要だ.
- 第1に,各立場は「機会の公平な平等に開かれている」と見なされる.
- 第2に,期待の程度としての社会的基本財の選択というのは,社会制度と個人とのあいだの「社会的な責任分担」と同じことである.〔なにが社会的基本財として社会制度のがわに分配責任があるものなのか,を決めるということか?〕
- つまり,社会の「基本構造」とは法的・政治的・経済的枠組みなのであって,この枠組みが,市民の権利や自由を定義し,各立場の力や経済的報酬を決定している,という考えだ.
- 社会がこれをちゃんとできていて,市民が権利・自由・経済的報酬の機会に理にかなった不満を持たなければ,その枠組みは正当だというわけだ.
- どういう目的を選ぶか,それに成功するように機会や資源を使えるかどうかは,個人の問題となる.
- 社会がこれをちゃんとできていて,市民が権利・自由・経済的報酬の機会に理にかなった不満を持たなければ,その枠組みは正当だというわけだ.
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すると,単純にできるだけたくさん社会的基本財を得られる原理を選ぶのはまっとうなことだ.
- だがこの前提は,社会制度はどう判断されるべきか,制度と個人との関係的役割〔relative roles〕はどういうものか,についての,実質ある判断を表してしまっている.
- 関連するポイントが3つある.
- ポイント1:社会制度の正義についてはよくても,正不正一般には当てはまらない.
- 「基本的道徳財」の一覧を使って,「労働の道徳的分担」について,お互いさまなことと当人の責任であることと分ける,などというのはおかしい.
- 道徳とはこういう財の供給ではなく,いろいろな形態をとる.
- たとえば不正行為の責任,約束を破ることになってしまった状況を作った責任,リスクある行為に従事した責任,助けが必要な不運にひとを陥れた責任.
- 意図,知識,情報の入手,他行為可能性や望ましさも,責任の評価にかかわる.
- ポイント1:社会制度の正義についてはよくても,正不正一般には当てはまらない.
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こういうさまざまな状況を,自由や機会というカテゴリーの一覧によって説明して,正不正についての問いすべてを理にかなったしかたで統一できるとは思えない.
- たとえば「非自発的」行為だと非難が免除される.これを説明するには,「自発性」のさまざまな要素(状況の知識,他行為可能性など)のどれが道徳的に重要なのかを調べる必要がある.
- 道徳的に重要な理由が特定できたとしても,それが特定の原理を拒否可能にするかどうかを判断しないといけない.
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この対照性は,道徳哲学と政治哲学との対立ではなくて,道徳についての,あるいはお互いさまであることについての一般的な主張と,特定の状況での正不正についての主張とのちがいである.
- Rawlsの原初状態論法は,特定の形式の義務についての議論になぞらえることはできるが,理にかなったしかたで拒否可能性についての契約説の一般的な考えとはちがう.
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ポイント2:原初状態論法は,「上向き」な議論と比べてそんなに「テクニカル」なわけではない.
- 原初状態論法そのものが,反省的均衡のなかで正義についての判断を説明できる,ということに訴えて正当化されているもので,社会制度の正しい目的とか,制度と個人との役割分担とかについて,実質のある判断を反映している.
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つまり,もっと厳格な契約説を作るにも,「上向きの」議論が必要だ,ということだ.
- 理にかなっていることについてもっとはっきり特定して記述しようとすることはできるし,そうすることで,だれにも理にかなったしかたで拒否不可な原理を見つける過程をもっと特定しようとすることもできる.やってみないとどうなるかはわからないが.
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ポイント3:道徳理論の目的は,道徳の問いに直観的判断に訴えないで答えることではない.また契約説のよさは,いま論じたような厳格なものを作れるかどうかに依存しているわけでもない.
- 確定的規則の形で述べることができて,判断にたいして訴えずに適用できるような道徳原理は,控えめに言っても珍しい.
- 同様に,直観的判断に訴えないで原理にたどりつけるかどうかも疑わしい.
- しかしながら,義務の道徳性の本性についての理論的考察は,我々の実質ある道徳的立場に影響することはある.
- 契約説が提供するたぐいの,道徳原理が正当化されるかを決める過程についての一般的な説明は,いくつかの原理のまともさを脅かしたり高めたりしうる.
- 新しい原理の定式化にたどりつくこともあるかもしれない.
- もっとありそうなのは,おなじみの原理がなぜだれにも理にかなったしかたで拒否できないのかの理由をはっきりさせて,原理の内容とその限界との理解を促すことだ.
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次の2つの章でこのたぐいの探究を行う.
- 6章:道徳原理において責任と選択という考えが持たなければならない役割を説明できる総称的理由を探す.
- 7章:忠実さや信頼についての義務を支える総称的理由について考える.
(5章おわり)
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なにかをvaluingする->なにかを,特定の理由であると見なす
- 友人関係を価値づける -> 友人関係を「どんどん増やすべきと考える」のではなく,「忠実であることの理由と見なす」.
- ここではvariablenessを性質と捉える必要がない,というのが利点(捉えてもいい.両立する)
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Mooreの場合,variablenessは性質の1つであって還元されない.
- かつ,直観によってそれがあることを判定できる
- Parfitもこれに近いが,理由のほうを原始概念とする.
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Mooreは理想主義的功利主義と呼ばれる.快ではなく善を増やすことを計量する.
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古典的功利主義:ベンサム,ミル,シジウィック