文章: mala
- 2025-01-20 初稿
- 2025-01-23 いくつかの補足と自分の過去のprivateでの言及のおまけ
- 気が向いたら、追記するかもしれない
aycabta、あるいは糸柳茶蔵は古い友人だ。彼は冒険家で、Rubyコミッターであった。aycabtaは all your code are belong to ass
の頭文字だ。有名なネットミームのもじりだが、まあ、ひどい名前である。違うハンドルネームや名前で認識している人も多いかもしれないが、自分がいま認識する糸柳というのは彼のことである。
既にXにいくつかの短い文章を書いた。
(追記: 未ログインだとreply見れないのでツリーもリンク)
多くを語るつもりはなかったのだけど、今この文章を書いているのは、糸柳について言及しているいくつかの中に、自分の知らないエピソードがあって、それで少し微笑ましい気分になったりしたからだ。自分が語ってこなかったことについて、他の人にとっては初耳かもしれないし、なにかの役に立ったりするかもしれない。あまり意味がなくても記憶が薄れてしまわないうちに、書き留めておこうと思った。
知らないエピソードというのは、具体的には、このあたりの話である。
- https://x.com/x5gtrn/status/1882308184670609727
- https://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/2025/01/15/143245
あれやこれやがあって、彼がネット上でのあらゆる活動を自粛していたとき、新しい名前(aycabta)で活動を始めて、しばらくしたときに名前の意味を説明してくれる機会があった。もう日本はダメだから英語で海外向けに発信するのだとか、そんなことを言っていた。
同じ時期、また別の名前での活動もあったのだが、ひどい話なので割愛する。表立っての活動を自粛した結果、あふれる衝動を抑えきれず、様々な人格が生まれていたのかもしれない。もしかしたら自分が全く知らない別の名前での活動があるかもしれない。(時期としてはこれよりも後だが、少なくとも自分は中国人エンジニアAlexの話は知らなかった)
いくつかのことについて、気の向くままに書くので、時系列がバラバラだったり読みにくかったりするかもしれない。
自分は彼に100万円のお金を貸していて、借用書は色々があって無くなってしまった。自分にとっては借用書が借用書ではなくなった時点で、100万円はあげたつもりであって、返済があってもなくてもどっちでも良かったのだけれど、糸柳というのはとても義理堅い男で、自分に対しては、いつかまとめて返すからと、会うたびに、事あるごとに言っていた。金の切れ目が縁の切れ目、といった言葉もあるので、ある種の友情の証のようなつもりで、お金を貸しているという設定は残すことにした。本気で取り立てるつもりは毛頭なかったが、うっかり糸柳が大金持ちになって、自分が金に困っているような状況が発生したら(そんなことは先ず起こらないけれど)そのときに返してくれというようなことは伝えていた。ちなみに生活費の支援や、携帯電話料金の立替えなどで、短期での返済を前提にして貸したお金もあり、それについてはちゃんと返ってきている。多分、糸柳に金を貸して返ってきていない人も多数いると思われるが、義理堅い男であることは間違いない。
万が一、100万円が返ってきたら返ってきたで、今度は1000万円貸したら面白いんじゃないか、というようなことを糸柳のいないところで話したことがあるが、最後の雇用主にはやめろと怒られた。
お金は返ってこなくても良いと思っていたが、糸柳は自分にいつか必ず100万円を返すのだろうし、100万円がいつどんなタイミングで、どういう方法で返済されるのかをずっと楽しみにしていた。流石にもはや返ってくることはないだろう。自分のもとに匿名で100万円の振込があったり、山中に埋まっている100万円の在処を示す地図が届いたりはしていない。そんなわけなので、自分としては彼が亡くなったのは事故だと思っている。
ある時、仕事の調子はどうかと尋ねると、いつものように、まとめて返したほうが面白いから、とかそんなことを言われる。その時、自分は(糸柳ほどではないだろうが)少し貯金が心もとない時期であったので、別に面白くなくてもいいし、分割でもなんでも返してもらえるならそれに越したことはないよ、と伝えると、糸柳は、収入は安定しているしまとまったお金も入る予定であるとか、過去の悪名の痕跡を消すのに弁護士費用で使ってしまって、今は手持ちのお金が無いとか、そんなことを言っていた。
その後、自分がどうにか糸柳ことaycabtaに直接の連絡を取れないかと試みたのは2021年の春のことだ。その時、どういう事情があって、どんなメールを送ったのかは小池(ssig33)が知っている。おおよそ以前の糸柳であれば、無視することも出来ないだろうという内容の連絡だったけれど、その時に返事はなかった。その時も連絡が取れずgithubへのpushも止まっていて軽く心配したのだけれど、幸いにしてこのときは死んでおらず、単に山ごもりをしていたようだ。どこかネット環境の無いところでコードを書いて、ローカルでcommitして、オンラインになってからまとめてpushするということを普段からやっていたようであった。
人づてで返事よこすように強めに伝えたりとか、出没しそうな場所に出向くとか、方法はあっただろうけど、あらゆる手段は使わずに、返事がないならそれはそれでよいかと放っておいてしまった。彼にとって自分は、わざわざ積極的に会いたいような対象でないかもしれないと思っていたからだ。
以前から聞いていたとおりに、彼は人間関係を縮小していたし、過去を切り捨てようとしていた。10年前の人間関係は、今「うまくやれている」彼にとっては破滅の残滓のようなもので、自分もまた彼にとっては消し去りたかった過去の一部なのかもしれない。いまうまくやっているなら、それはそれで良かろうと思っていた。
kotorikoと会ったのは、2021年の夏ということである。これは今、この文章を書き留めておく気になった理由の一つだ。少なくとも、何もかもが切り捨てたいような過去ではなく、糸柳の方から積極的に会いたいとコンタクトを取るような関係性もあったということだ。あとはまあ、糸柳について書かれた記事の中には、死んだのを良いことに、書き手の語りたいストーリーに沿うように、能力面でのことなどが好き勝手に書かれていて気に食わなかったということもある。死んだのを良いことに好き勝手に書いているというのは自分も同じになってしまうが、彼を出汁にして、ついでに伝えたいような主張は特に無い。単に今、自分だけしか知らないであろう情報があって、情報のコピーを残しておきたいというだけだ。
自分が糸柳に一番頻繁に連絡を取っていたのは、2011年から2013年にかけての話だ。その時期にはよく、身の上相談に乗っていたのだけれど、一緒に暮らしたことがあるわけではないし、その後は疎遠になっていったし、晩年の糸柳とは全くといっていいほど交流がなかった。こちらから積極的に連絡を取ろうともしなかったのは、お金は別に返ってこなくても良いと思っていたし、人づてに聞くような彼の噂について、Rubyコミッターとしての活動以外はたいていが相変わらず酷いものだったし、経験上、遠巻きに見ている分には良いが、近くで関ればろくなことにならないと考えていたというのもある。
だから、なんだかんだ気にかけてはいたけれど、糸柳が糸柳であるという理由で、特別に気にかけるようなことをやめていた。単にエンジニアとして、興味のある範囲で、aycabtaのことをウォッチしていた。記事になっていたり面白い発表があれば自然に耳には入ってきたし、それでどこかで交差するなら、それぐらいで良いんじゃないかと思っていた。山での生活や、彼の哲学といったものは、彼が残している文章や動画の中で断片的に語られる情報でしか知らない。
ごくごく初期のころ、aycabtaが糸柳であるということは伏せられていて国籍も不明な「完全匿名」主義の人間という設定で活動していた。それがあるとき、aycabtaが日本語を喋る冒険家・糸柳茶蔵と関連付けられ、山、沢登り、焚き火とセットで語られるようになった。名前については正式に法的にも改名したと聞いている。改名したというのも、過去の悪名を断ち切るための彼なりの選択だったのだろう。名字の方が改名のハードルが高い(結婚を除く)ので、糸柳という名字はそのままだった。
ただ、ネットでの活動なんて別に偽名でもなんでも良いのだから、本名も顔出しも一切しないで活動するとか、そういう選択肢もあったはずだけれど、糸柳という名前については捨てなかったばかりか、何やかんやイベントで登壇などをするにあたって、最終的には新しいハンドルとも関連付けられることになった。お金もかけて神経質なまでに過去を切り捨て痕跡を消し、改名までもやっておきながら、糸柳という名前を捨てなかったことについては一貫性がなく、彼の真意はよくわからない。どうせバレている(いくらかの交友範囲にはバラしている)からなのか、それとも以前と「変わった」あるいは「治った」自分を見せることで見返してやりたいといった気持ちもあったのかもしれない。
山の人になったあとの糸柳の様子を、人が変わったようだ、まるで別人であると評する人もいるけれど、自分が一時期頻繁に連絡を取っていた糸柳とaycabtaは地続きで、淡々と話す語り口の中にも、ところどころ狂気の片鱗が垣間見え、否応なしに同一人物であると認識させた。精神疾患については、本人曰く寛解した、と言っているのだが、少なくとも傾向が変わっているというのは事実であろうと思う。ただ自分は彼の病状について専門的に分析出来るわけではないし、晩年の彼と直接話す機会もなかったので、正確なことはよくわからない。外形的には、努力家で、優秀なエンジニアで、時折「奇行」に走るといった部分。糸柳とaycabtaは同一人物である。
Rubyコミッターとしてのaycabtaの登壇資料は、YouTubeにアーカイブ動画が上がっているものがいくつかあるので、興味がある人は探して見てみるといい。aycabtaのプレゼンスタイルは、クライミングとか、焚き火であり、その合間に、ついでのように作ったライブラリについての解説が、スマホに保存したメモを見ながらボソボソと読み上げられるといったものである。正確に時間を測ってみたわけでもないが、本題であるはずのRubyのライブラリの話よりもクライミングの様子や自分語りの様子の方が少なくとも目立っており、唐突に山仲間のおっさんに対してメイドインアビスの話をしだしたりもする。このような登壇が行われる分かりやすい原因というのは世界的なコロナの流行である。コロナ禍でオンラインカンファレンスやリモート登壇という概念が発生し、収録したビデオを提出するという方式が出てきた。こうなるともう、なんでもありのバーリトゥードである。aycabtaの登壇はインパクトがあるし、率直に言えば卑怯である。生まれ変わった糸柳は、疑いなくRubyに多大な貢献をしているが「奇行」については相変わらずだ。彼の動画を見るたびに、半笑いで、胸がすくような気分になる。
しかし、これが果たして「奇行」なのかという問題がある。事前収録したビデオを提出すれば良いのだから、従来のプレゼンスタイルに囚われる必要など無いのに、多くの人は従来ながらのパワーポイントで作ったようなスライド資料を投影し、解説しながら喋るといった、オフラインで行われるカンファレンスと同じスタイルであった。言語コミュニティのイベント、つまりはハッカーの集会であるなら、常識に囚われている方がおかしいのであって、何でもありなのに従来のスタイルに縛られているその他全員のほうがよほど「奇行」ではないのか?むしろハッカーとして(あるいは未踏を行く冒険家として)唯一まともなのが、aycabtaの方なのではないかと思えてくる。運営側も、病気の人間を面白がって採択しているというわけではなく、作っているライブラリやその説明、特にRubyという言語にとっては彼の自由なプレゼンテーションのスタイルも含め、有益だと判断したから採択しているのであろう。
自分は、糸柳が誰かに迷惑をかけたり、エスカレートして人の個人情報ばらまいたりしているときには、奇行に走るなとか、面白くないからやめろ、とか、そういうことを言ってきたけれど、aycabtaのプレゼンについては、自分から咎めたり、苦言を呈するような要素が一切見当たらない。aycabtaのプレゼンは誰よりも自由だった。(もしかしたら、彼自身は常に、なにか奇抜なことをやらねばと縛られていたのかもしれないが)
ただ、aycabtaのプレゼンからは、常に自分の命を軽んじているような印象を感じていた。クライミングの様子にせよ、自身でドローンを操縦して撮影したり、素人目に見ても危ないことをしている。実際に何やら大きめの怪我をしたこともあったようだ。プログラミングと同じく、クライミングについても多くは独学であったのであろう。このまま放っておいたら、いつか山で命を落とすのではないかとか、糸が切れた凧のようにどこかに行ってしまうのではないかという予感は常に感じていた。
以前から、糸柳は自身の健康や生命も含め軽んじるようなところはあったが、それは自己犠牲の精神のようなものだった。自身の幸福は二の次で、更に困っている人間を助けようとしたり金を貸したりするような傾向があった。だが、山に登るのは、糸柳が誰かを助けたりするために身を削るとかそういう性質のものではない。世俗から離れて、誰のためでもなく山と向き合っていたことが、良いことなのか悪いことなのか、自分にはわからなかった。
少し時間を戻して、改めて、自分が頻繁に連絡を取っていた2011年から2013年にかけての話を書こうと思う。
過去の話と関連付けられるのを糸柳は嫌うだろうけれど、糸柳がなぜドワンゴを辞めたのかという話は語っておかねばならないと思う。世間的にはクビになったと認識されているのかもしれないが、事実とは異なる。会社としてもかばう理由がなくなり、糸柳としても辞める理由があり、糸柳はドワンゴを円満退職した。より正確には、糸柳曰く「円満退職という表現以外を使ってはいけないと人事と誓約書を交わしているので円満退職です」といったことを言っていた。細かく覚えてないが、失業手当などにも有利な会社都合退職の扱いになっていたと思う。こういうと、円満退職というのは呼び方の問題だけで結局クビ(あるいは退職勧奨)だろうという印象も持たれるのかもしれないが、ともかく円満退職である。
- https://x.com/bulkneets/status/108235966602420224
- https://x.com/bulkneets/status/111467791260975104
- https://x.com/ssig33/status/115405499511472128
- さらに後の言及 https://x.com/bulkneets/status/440737234140934145
ドワンゴの立場から見たときの話では、川上さんの目線での認識は以前から言っていたことと、さほどの差異はない(ただ、大事な部分として、恋の話が増えている)
- https://web.archive.org/web/20140131034021/https://cakes.mu/posts/4766
- https://anond.hatelabo.jp/20250113003714 川上さんの書いたとされる匿名ダイアリー
追記:この記事は、細かな事実関係の誤りや時系列の誤りがあると思われるので注意。例えば「鉄男」とされている人は高卒らしい(流石にこの名前で別人のことです、というのはないと思う)。自分は普段、内容への指摘なども込みで言及したとしても、読んだ人は文脈や背景情報を無視して拡散するということがあるので、内容に致命的な間違いがあるなら、言及自体をしないようにしている。けれど、この記事は読む価値があると思っていて、かつ、川上さんの記憶や主観を元に書かれた内容なので、細かな事実関係や時系列などはさして重要ではないだろうからリンクを張っています。
以下は、糸柳から自分宛てに、2011年8月6日に届いたメールの一部だ。
最近では、
「俺が色んな人から何度も助けてもらったのに
俺が困っている他人を助けない訳にはいかない」
「俺は荻野を救えなかったので
俺が荻野のようになれば見捨てられる。
しかし俺がひどい状態の他人を見捨てなければ、
少なくともその状態までは
見捨てられることはないだろう」
などと考えるようになって、
他人の不幸を勝手に背負うようになり、
散々馬鹿なことをして
また財政的に破綻した。
周囲の人間は
「お前のことなら助けるが、
他人を助けるためなら金は出さん」
と断言し誰も助けてくれなくなった。
俺は本当に頭が悪いということを
改めて思い知らされた。
上司と川上さんの反応からして、
会社もそろそろ本気で解雇されそうだ。
何しろ連絡しても全く返事が無い。
言うまでもなく
このメールは金の無心のために書いている。
100 万の時のように一括で返す面白も糞もないから
少しずつ返すつもりだし、
...
だから、少しでいいので
融通してもらえないかと思っている。
金は貸したのと、会って話したり、電話で話したりした。まあ当時の糸柳から聞いたのは以下のような話だ。
- 当時、糸柳には恋人がいたのだが、多くのドワンゴ社員が交際に反対し別れさせようとして、揉めていること
- 依頼されている仕事をこなしているが、上司の反応が無いというようなこと
当時は電子書籍周りのライブラリを実装していたらしい。恋の話は川上さんの書いている内容とも一致するのだが、時系列があっているのかあやふやで、311の件とは独立して書かれているのが、自分が糸柳から聞いていた話では、ドワンゴを退職する時点においても、糸柳の中では解決はしていなかった。
ともかく当時の糸柳には守りたいものが出来て、仕事への意欲もあり、お金を稼がないといけない、そういう状況だった。しかしドワンゴでは上司に連絡しても無視され、成果物を見てくれもしない、と。その当時の上司と連絡がつかないという話は、その上司も含めてメンタルをやられてしまった対象という話なのだろうが、それが果たして糸柳のせいなのかどうかは、自分には判断しかねる。当時のドワンゴがエンジニアにとって良い環境であったとは思えず、メンタルをやられる要因など他にもいくらでもあるだろうからだ。(参考になりそうな資料はいくつかあるがとりあえず: https://meso.github.io/post/farewell-dwango/ https://doda.jp/engineer/it/guide/001/19b.html )
糸柳の身の上相談(仕事、金、恋愛)を受けた自分の行動は極めてシンプルだった。それは、糸柳の恋を全力で応援するということだ。ドワンゴの連中が全員反対しても自分は祝福すると伝えた。だいたい、恋なんて妨害されればされるほど燃え上がるに決まっているのだし、駄目なら駄目で破局するのだから、見守るしか無いだろう。そもそも、会社の同僚がプライベートに干渉してくるほうがおかしいのだ。登場人物全員が頭がおかしい。
追記: 同僚かつ友人という関係であったりプライベートでも仲が良かったり遊びに行ったりするのを否定しているわけではない。当然ながら会社の業務で恋路の邪魔をしているなどと思っているわけではない。一般化すると同じ会社の社員による私生活への過干渉で、相手が拒んでいる状況をセクハラ・パワハラ同等に問題視している。あと、全員が頭がおかしいと書いたのは「お前もだろ!」と、当時の周辺事情を知っている人からツッコミを受けることを想定して書いている。自分自身も大変な目にはあった。ネタとかコンテンツにしていい話ではないと思っているし、存命中の人物のプライバシーもあるので具体的なことは書かない。小池ですら表立って書かないのだから察してください。
かくして、糸柳はドワンゴを退職することを決意し、転職した。
ドワンゴを退職して少し経った頃に、糸柳の退職記念の飲み会、兼、仕事を斡旋する会合があった。そこでも多くのことが語られたわけではなく、単に円満退職であるということの説明が繰り返された。ただ、具体的に糸柳を雇いたいと名乗り出た会社に対しては、もう少し詳しい事情が説明された。
糸柳を受け入れられる会社はドワンゴぐらい、というのは思い上がりで、実際に糸柳を雇いたいという会社は複数あったし、糸柳は家庭の事情を優先することに理解がある会社を選んだ。
当時、SNSアカウントなど削除して、ネット上での表立った活動を自粛していた糸柳は、書く場所がなかったというのもあり所属を明かさなかったし、糸柳を雇った会社の方も糸柳が働いていることは書かなかった。障害者雇用枠のためとか、懐の広い会社であるとアピールするためとかではない(ドワンゴがそうであったという意味ではなく、少なくとも転職先の会社はそうではなかったという意味)。宣伝目的で利用しようにも、当時は悪名の方が広がってしまっていたという部分もあるだろうが、ともかく純粋にエンジニアとしての能力で買われて雇われていた。
その後、どうなったかというと、仕事も含めて、結局、プライベートの出来事が要因でハチャメチャなことになってしまう。うまくいきそうで失敗する。人並みの幸せを掴みかけては破滅する。周囲にはまた迷惑がかかっていたが、あれやこれやの面倒を見た。自分はまたお金を貸したり、携帯電話番号を維持するためといって公共料金を立替えたりしていた。貸したお金は、100万円以外は全部返ってきた(生活保護の不正受給のようなことをして返そうとしてたので、それはやめろと叱った)
しかし、その当時の恋人に対しては、破局してしまった後も、そして糸柳が山の男になってしまった後ですらも、数年間にわたり、(糸柳にしかURLを教えていない)Amazonウィッシュリスト経由で、ずっと匿名で誕生日プレゼントが送られ続けていたのだという。送り主の請求書住所は皇居に設定されていたが、うっかりミスしたのか最後に糸柳が最後に住んでいたという山梨の住所を使ってしまい、その後はプレゼントが途絶えたのだという。純情で照れ屋で義理堅い男、それが糸柳の印象である。
余計なことを書かないようにだいぶ簡潔に書いたけど、自分の知っている範囲でもそうなのだから、自分の知らない範囲でも表沙汰になっていることの数百倍は様々な出来事があったのだと思う。自分も殆どを知らない。人を助けた話もあるが、それ以上に迷惑をかけた話のほうが多いだろうというのは想像に難しくない。ここまで書いてなお、結局自分も糸柳のことをよくわからない。晩年は一方的にウォッチしているのみで交流があったわけではなく、一緒に暮らしたことがあるわけではなく、ごく一部の側面でしか知らない。
それでも、異なる時期や異なる角度で見てきて、糸柳ってこういうやつだったなと、なんとなく像を結ぶことは出来る。ただ、それが他の人にとっても当てはまることなのか、同じように見えているのかどうかわからない。aycabtaのプレゼン動画も、謎の中国人エンジニアAlexも、自分からすると一貫性があるのだが、糸柳を知らない人間からすれば、ますます人物像がわからなくなるだけかもしれない。
自分から確かに言えることは、例の記事(リンク張らない)に書かれているような、糸柳は能力的に大したことがなかったとか、ハッタリが通じなくなって居場所が無くなって死んだのだといったストーリーには賛同しかねるということだ。あとは全体的に迷惑な人間であったというような評価について。ごく一部の側面だけを見て、糸柳のことを理解した気になったり、能力について寸評するようなのは愚かなことだと思う。それから、川上さんについては、会社経営者の立場なら、能力が足りてないなどと言う前に、能力を引き出せなかったことに負い目を感じるべきだと思う。(追記:「ついでに伝えたいような主張は特に無い」と最初の方で書いておきながら、この部分は自分の主張で、書くかどうか悩んだ。反応があったが、私信で伝えたいことは伝えた。糸柳の能力面に関して言えば、その後の功績、称賛を見れば、常人以上の能力があったのは明らかだろう。能力の指標は、時間あたりのパフォーマンスの場合もあれば、粘り強くやり切ることの場合もある)
失踪直前に何が起きていたのかとか、事故なのか自殺なのか、気にならないわけではない。しかし何にせよ死んでいるのだから、あれやこれや分析することに、自分は意味を見出すことが出来ないでいる。自身の命を軽く見ているようなところがあったのは確かだろうと思う。脳梗塞の人間が一人で山に行っている時点で自殺行為だろう。どこか帰る場所とか、守りたいものとかあれば、もっと安全やら健康に気を使って、持続可能な冒険をしたのかもしれないが、健康に気を使って長生きして家族や友人に囲まれて天寿をまっとうする糸柳は想像がつかない。もう一度書くが、世俗から離れて、誰のためでもなく山と向き合っていたことが、良いことなのか悪いことなのか、自分にはわからなかった。
本当はもっと語るべきことがあるような気もするが、どうにも思い出されることはノイズだらけで、うまくいかない。ドワンゴのことを悪く書いた部分もあるが、最終的に糸柳の食い扶持を支えていたのはドワンゴ時代の人間関係であるので、それについては感謝の気持ちしか無い。Rubyコミュニティに対しても感謝の気持ちしか無い。
終わり