毎年恒例で5枚ピックアップ
- Badbadnotgood - IV
- Frank Ocean - Blonde
- Blood Orange - Freetown Sound
- Kaytranada - 99.90%
- Jordan Rakei - CLOAK
これらのものはBadbadnotgoodを除き すべてGoogle Play Musicで楽しむことができる
ことしは友人の強いススメもあって Google Play Music を使いだした
はじめのうちは「アレがない」「コレがない」「ブートっぽいのしか出てこない」など不満ばかりがあったけれど 次第にこういったものというわりきりができて「それなり」の楽しみかたができた(とはいえそれまでにことしの前半かかった)
慣れないうちは「聞きたいものを探すこと」だったり「どれをオフラインで聞くのかを選ぶこと」だったり そういうことばかりを気にする状態で それだと「iTunesとか大量のmp3ファイルをつっこんであるフォルダがGoogle Play Musicと単純に入れ替わっただけじゃん」と じぶんのやっていることがえらい前時代的な慣習に縛りつけられていることに気がついてしまった
そこで じぶんの好みも棚にあげ こういう視点で対峙することに
あまり聞きなれないかもしれないけれど しっかりwikipediaにはそれを解説した項目もある
クワイエット・ストーム(英語:Quiet Storm)は、ソウルフルなスロージャムを中心に選曲され、
都会の雰囲気に合ったラジオ番組フォーマット。
アメリカ・ワシントンD.C.のFM局WHUR-FMのDJ代役メルヴィン・リンゼイが1970年代中頃に始めたと言われている。
クワイエット・ストームという名称は、当時よく使われたスモーキー・ロビンソンの1975年のヒット曲から番組名としてつけられ、
以後同様の番組フォーマットの代名詞となった。
ブラックミュージックのひとつに含まれ、厳密な表現をすると、
メロウな音程・落ち着いたリズム・落ち着いたテンポの特徴を併せ持つ音楽ジャンルと言える。
感覚的には、官能的・扇情的な雰囲気を含みつつも、かすかで思わしげな暗喩に抑制するような作風の曲と言うこともできる。
ジャンル的には、ソフトロックやアダルト・コンテンポラリー・ミュージックに近いが、
リズム・アンド・ブルースやジャズからの強い影響も加わっている。
結局、都会的で、小粋な、シブく決めた音楽といったところになるだろう。
クワイエット・ストームは1970年代中期から1990年代初頭のアメリカのベビーブーム世代に最も受けた。
レイドバック風味なじぶん好みのアイソレーションがかかった(ここがラジオとはちがう)なんとなく雰囲気のあるものがさらりと流れるこのプラットフォーム
時代的にはMTV真っ只中であったはずなのに「キャッチー」よりも「耳ざわり」の方向へ振れたこのフォーマットに姿を重ねずにいられようか ああこれはクワイエット・ストームだったんだな どうしても聞きたい曲は検索して聞くよりも 流れてくるのをドキドキして待つか おもたい腰をあげて検索し リクエストのハガキ投稿よろしくの「これを聞いたひとはこれも聞きます」的な渦に呑みこまれるしかないんだな そんなふうに考えるようになった
レコード棚から聞きたい曲を探すという楽しみのほかに「聞きたい曲を探さない むしろ聞きたい曲 おまえが来い」 そんな体験を知った2016年だった
と出たばっかりの The Weeknd - STARBOY を聞きながらこれを書いている まだ聞きこんでいないけど とてもよい塩梅です
ことし発刊されたものから5冊ピックアップ
- 海猫沢めろん - 明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)
- 上原 善広 - 一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート
- スティーヴン・ウィット - 誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち
- ユージニア・ボーン - マイコフィリア-きのこ愛好症 -知られざるキノコの不思議世界-
- シャルル・フレジェ - YOKAI NO SHIMA
「ことし一番おもしろかった本をひとつだけ選ぶならどれ?」と聞かれたら じぶんは 「海猫沢めろん - 明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)」 を挙げる
この手の内容のものは ことしもたくさん出た印象があり 何冊か手にとってみたけれど テクノロジーを伝えるジャーナリスト的な立場側から書かれたものが大多数で 内容もとかく暗い未来や不安を煽るのものがほとんどだった気がする
だけどこの本でインタビューされているテクノロジーそのものに対峙する研究者たちは 全く違った方向を向いていて そこからやばいパンチラインを連発するという ほかのものとはほんのすこしだけ異なるテイストをもつ一冊だった おそらくインタビュアーである著者の「聞くうまさ」があるのだろう
特に ウィークエンドシャッフルの推薦図書特集で紹介されてた 「魚川 祐司 - 仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か」 と同時期ぐらいに読んでいたので テクノロジーと仏教思想の両側面から人間・心・環境などの話について どちらの側面からの言及なのか一瞬わからなくなってしまうようなインパクトのある部分も多く 個人的にはkindleで大量のハイライトをせざるを得ない興味深い状況も生まれた
人と機械の境界はすでに消え、機械は人と人をつなぐものであり、人は機械と機械をつなぐものでもある。
そのなかでは人と機械の区別はもはや意味がありません。
機械と比べて、自分はどれだけ存在価値があるのか、というのを自分自身で納得できるような生き方を探さないと、
生き残るのが難しい世の中になってくるんじゃないかなと。
心は結局人間が他者に勝手に吹き込むものなのかもしれませんが、逆に考えてみると、
人間が周りの物に「心」を吹き込むことをやめるということが、心をうしなうことかもしれません。
だんだんと人工知能と生物の決定的な差が見えてきました。
プログラムというのはそれ自体では目的がないのですが、生物はとにかく「生き残る」という目的が最初から与えられているのです。
人工知能が人間を征服したりするシナリオはありえないでしょう。征服する理由もないですし。
ぼくたちは人間の複雑さというのを心の問題に持っていきがちです。
でも、行動だけを見てみるとそれは非常に単純なものであり、実はその行動や心理は環境によってもたらされている。そういうことです。
2015年になっても書店に自己啓発本や幸福本が溢れているのはおかしいって話ですよね。
これまでに出ていた本で啓発されてたり幸福になってたら、もう必要ないわけですから。
それから「圧倒的な量が質を超える」ではないが 「徹底的な論理が詩性に到達する」みたいな雰囲気も印象的だった
科学を突きつめていくと、あるとき「わからない」という領域に入ることが多くあります。
そのときに、なにか他の言葉を探そうとして、気付くと文学的な表現になっていることがあります。
「高野 文子 - ドミトリーともきんす」 で高野文子が美しくあぶりだしたような科学者の叙情性にここで再会することができたり
単に「人間と機械がどう違うのか」ということを知りたいわけではなく、「人間のなかにある割り切れないなにか」を知りたいのです。
一瞬 河村通夫の大自然まるかじりライフ かよと錯覚しそうだけどそうじゃない
ことしは AlphaGo や 東ロボくん のはなしのように こういうものがが見えはじめた年だったなということをあらためて実感し こういう状況で あらためて 「湯川 秀樹 / 梅棹 忠夫 - 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)」 を読むとなにを思うだろう そんなことを考えてた
そうそう この手のはなしだったら このことも書いておかないといけない
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「わたしは真悟」にまつわる楳図かずおのインタビュー めちゃやばかった https://t.co/4yLSs7lvVw
— ( `)3') / 脱構築 (@nbqx) 2016年9月7日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「わたしは真悟」にまつわる楳図かずおのインタビュー ケヴィン・ケリーのこれにめっちゃ共鳴してる https://t.co/fYetbDIUdJ
— ( `)3') / 脱構築 (@nbqx) 2016年9月7日
この2冊もおもしろかった
「平松 洋子 - 食べる私」 は様々な著名人へ「食との距離感」についてインタビューしていく一冊
初っ端のデイヴ・スペクターの「食へのこだわりの無さ」が潔すぎて逆にかっけーというところからはじまり 後半のほうで冒険家や登山家の方々が過酷な状況へ持っていってよかった食材として「海苔」と「チューブ入りわさび」を共通して挙げていることが興味深かった
このことは 「信濃川 日出雄 - 山と食欲と私」 とゆるやかにつながるところがある気がして あわせて読むといいんじゃないかなとおもう
それから 平松さんといえば 「平松 洋子 - 野蛮な読書 (集英社文庫)」 のなかで 「ソニア パーク - ソニアのショッピングマニュアル III」 で紹介されていたアークテリクスのゴアテックスジャケットに付箋を貼ったという話があって 平松さんぐらいの世代の方がアークのジャケットに物欲を刺激されるのかっこいいなと思った反面 なんとなく自身とお金と物欲の距離感がちがうっぽいんだよなという感覚があった(たぶん平松さんが大人であり主婦だからなんだろう)
で そんなことをしばらくかんじていて ことし 「山内 マリコ - 買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)」 を読んだ
おそらく世代的な近さもあるのかな 率直にいうと 買い物感覚がちょうどよい
自分自身とお金とほしいものの距離感がとても身近で おそらくおなじ状況下におかれたら おなじように悩むのであろうというような買い物談義 自身の生活にも自身の小説の世界観が垣間見える気がして とてもよかった なんていうんだろう 「さわやかな物欲」とでもいうべきか
食べものにしろお金にしろ 距離感を意識させるものを読むことは いつも新鮮な視点をもつ手助けになる
それと余談だけど 本のなかで紹介されている 林ショップ を知り 富山観光における 林ショップ からの 糸庄のモツ煮込みうどん というコンボを確立することができたこと それから 「山内 マリコ - あのこは貴族」 を年末年始で読みたいなとおもっている
心がまえ的なところは小気味よいかんじだったけれど 具体的な内容に正直「うーん」という部分もあった
とくにプロユースのレース向け機材についての考察は むしろ個人的にこちらの意見のほうが同意できる
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>私がレース機材好んで選ぶのは速く走るのに最適化された機材を使うことで同じ時間でより長い距離を走ることができるから。
— 神楽坂つむり (@tsumuri_f5) 2016年11月27日
そうすれば旅の選択肢が広がるし、たくさんの景色を見ることができる。
疲れる前に着けばいい。
プロの真似という視点なのか 選択肢がプロ機材だったという視点なのか おそらく水かけ論にはなるとはおもうけど
自転車・ゴルフなどいわゆる「機材スポーツ」はある程度の出費でそれなりの快適性を手に入れられるという特徴があって そういう面があるから単純なスポーツという枠だけではなく高い趣味性をもつものと認識されているというところがある
ただその振れ幅も考えモンであんまり機材に寄り過ぎちゃって 「これ使ってないとダメ」とか断言するような面倒くさい機材おじさんみたいなひともいるし 実際はもっと複雑 本当に複雑
- ユリイカ 2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります
- 穂村 弘 - 短歌の友人 (河出文庫)
- 穂村 弘 - ぼくの短歌ノート
- 西 加奈子, せきしろ - ダイオウイカは知らないでしょう
- 天久 聖一 - 挫折を経て、猫は丸くなった。: 書き出し小説名作集
それからことしの夏 ユリイカをキッカケとして短歌や俳句に興味が湧いた
いわずもがな ここ数年でとても短い文字数での表現に社会全体が動いている感覚が確実にある たとえば「絵文字」も「コンテクストと奥行きがつくる世界」という意味で短歌や俳句と似た構造や機能をもつ場面もあるとおもう
短い文字数での表現という意味で 「天久 聖一 - 挫折を経て、猫は丸くなった。: 書き出し小説名作集」 がまさに「コンテクストと奥行きがつくる世界」が広がっていてとてもよかったのだけれど 帯に「一瞬で読める」と書かれてしまった
たしか 「保坂 和志 - 書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)」 で「読書を時間で測るのはいかがなものか」みたいなことが書かれてたことをまっさきに思い出した
書き出し小説も俳句も短歌もそのほとんどは箇条書きのような情報伝達のために機能するものではなく 合理性を求めているものでは決してないはず 百歩譲って あくまでインプットとしての情報量が少ないという意味で「一瞬で読める」という観点だとしても であればその先に待ち構えている「コンテクストと奥行きがつくる世界」のことを帯にまず書くべきなんじゃないかなとおもった
それと以下の2冊は 俳句や短歌を勉強しようと読んでおもしろかったので 「コンテクストと奥行きがつくる世界」を楽しむ手助けになるとおもう
音楽と本じゃないものでよかったもの
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>もんぺ最高
— ( `)3') / 脱構築 (@nbqx) 2016年9月29日
動きやすいし筒状に丸めるとめちゃくちゃコンパクトだしシワもそんなに気にならない 最強の旅行グッズじゃないかなとおもった
しかも型紙からつくればじぶんの好きな素材でつくることができる ことしコットンリネンと化繊で一本ずつつくった(もうひとつぐらいあるといいなとおもっていて それ用によさげな11ozのデニム生地をキープしてある)
このおかげで職場ではもんぺ履いてアトリエコート羽織るみたいな格好してることが多かった
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>わが家で自作してるもんぺ トレッキング向けに化繊混紡100%の2wayストレッチギャバ素材でつくってもらったら 80sのDCブランドみたいなドレープが出て めっちゃ気にいったから会社で履いてる
— ( `)3') / 脱構築 (@nbqx) 2016年9月29日
化繊のやつはいいドレープ手にいれることができたけれど いかんせん汗抜けが悪く結局トレッキングには使っていない 吸汗速乾ストレッチ素材を探してはみたものの そのほとんどが犬の洋服向け材料で微妙だった
あとコットンリネンは寒くなってからだとタイツ履かないとつらいし タイツ履くと足のすべりが悪いから 裏地や冬素材を検討したほうがいいかもしれない
「高城剛 - LIFE PACKING2.1 未来を生きるためのモノと知恵 Kindle版」で知った きものでムリクリつかってみたら意外とよかった
ただしぱっと見たかんじ女性のきものの帯締めみたいな雰囲気だけど 貝の口でも片ばさみでも帯の結び目に干渉しないよう ずらしたりとかすこし工夫はしないといけなかった
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>高城剛か海外旅行するちっさいウエストバッグ 着物でもわりとつかえる https://t.co/1lmyEn4DMF pic.twitter.com/7RKzUeeV77
— ( `)3') / 脱構築 (@nbqx) 2016年10月1日
はじめ「これだけで海外旅行!?」とおもっていたら 友人が手ブラで社員旅行へいったことを知り 旅行はやっぱりノウハウなのかもとおもった
ツーリング用にゲト (まだつかってないけど)きものでも使えそう
RIP 柳瀬尚紀
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>ことし初めて食って一番うまかったのはピーマンの葉
— ( `)3') / 脱構築 (@nbqx) 2016年11月28日
葉とうがらしのように調理すればいい 味も似ているがすこしだけマイルドで食べやすい印象だった 時期を選べばサラダでもいけるかもしれない
ちなみにニンジンの葉もうまい かきあげも最高なんだけど 間引きしたまだ柔らかなニンジンの葉をゆでてマヨネーズで食うのが一番うまい セリや春菊のように香りの強い葉ものが好みであれば これほどうまいものはないのではないか
しかしながら ごく限られた間しか食べることができないというところがホントに惜しい 旬のものを食べるという喜びとはそういうものか
気軽に乗るためにゲト とはいえブレーキの油圧ディスク化・内装11速化 通勤のメインをこれにシフトした
このメモは 2016 Advent Calendar 2016 の12日目の内容になっています
昨日は tyoreさん 明日は nem0iさん です
それではみなさま よいお年を
nbqx xoxo