特に何もやってあげてないのに他人(法人だけどさ)から何百万何千万のお金が何年もとめどなく注ぎ込まれてきたら、怖くないですか?
オープンソース・ソフトウェアの開発者だけで給料をもらうというのは、まさにこの現象が発生してくるわけ。それまでもこれからも、ずっとオープンソース・ソフトウェアの開発者はやってきたし、やっていくわけでしょう。そんなの会社があってもなくても、別にやることなんて変わらないじゃない。じゃあなんで、ある時から急にかなりの金額が振り込まれてきてしまうんだ?しかもあからさまに物価上昇を上回る結構なハイペースで昇給していく。やっていることは一切何も変わってないのに!
この状況に適応するまでにはいささかの時間を要しました。根が小心者なので。
この点、会社の側には会社の側の言い分がもちろんあり、営利企業でもある以上、雇用する価値があると冷徹にそろばんをはじいてから給料が支払われている。そこで、会社の側から見たコストと開発者として出していくバリューのすり合わせが行われるのは不可避になっていくわけです。自分は何をいつまでにやるかのレベルで完全な裁量をもらっているけれども、というのはしかし、アカウンタビリティは必要なわけ。これが趣味と決定的に違うところだと思いました。自分が今、何を狙って、何をやっているのか。想像するに普通に研究部門で行われていることと類似の話で、別段めちゃくちゃハードな作業とも感じません。が、趣味におけるある種の気楽さは失われますよね。たとえばクオーターなり半期なりといったある程度の期間をかけると、ちょうどなんらかの成果が出そうな規模の課題をチョイスしがちになる、とか。
いやまあ、会社の言い分とか気にしていく義理なんかないといえば、ないのかもしれませんけど。結局のところ根が小心者なので、なかなかねえ。
自分の場合でいうとフルタイムになった前後でいうと、たとえばGitHubの草の色とかにほとんど目に見える違いは生じなかったというのが印象に残っています。コード量は増えない。じゃあ普段昼間何をやっているのか。それはコードじゃないものを書いているのですね。たとえば顕著に増加したのはバグトラッカー。他人のプルリクエストのレビュー。そういったものです。あんまりChangeLogに登場しない割にメーリングリストでは生き生きしてるおじさん、昔は何なのかなって思ってたけど、気づいたら自分がそれになってた。なるほどね。
あと対外露出としてのカンファレンス発表なども(これは人による部分は大きいと思うが)自分の場合は出ていきがちになっていったたので、それも影響がる。今月の業務はパワポ作成ですとかそういう月はあった。
またコードの量は増えなかったというのは、質が変化しなかったという意味ではないのにも注意が必要。どうなったかというと、時間があれば読もうって思って積んであったarXivのpdfとかそういうのが読めるようになった(というか、読まない言い訳がいよいよ失われた)結果、背景の調査などが豊かになって、脊髄反射みたいなコミットが減った。と思う。あとスタディというか、手元で作ってみたけどやっぱりうまく行きませんでしたね、みたいなトピックブランチを作っては捨てたりとか。昔はもったいなくてプッシュしちゃってたのでも最近は捨てがちになった。そういう意味では草の色は変わらないかもしれないがひとつひとつのコミットは一撃が重い感じです。
ただ、これに関しては一長一短で、すごい重いコードを書いて重いプルリクエストを出した結果誰もレビューについてこれなくて、結局誰もマージできないみたいな現象がまま発生しがちだった、という反省が最近はあって。もっと意図的に軽い、うかつにマージボタンが押せてしまうようなプルリクエストを出していこうとはしている感じ。