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@tora16e
Created May 29, 2014 14:05
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“孤独”がなぜ許されないのか

わたしたちのイメージの中で、元気な人はたいていよく笑う。あの人は元気だけど笑った顔を見たことがない、という人がいるだろうか。元気な人はたいてい白い歯を見せて、砂浜を駆けていたり、空を見上げたりして笑っている。ただ、公園のベンチに一人で座って笑っている人はどうだろうか。そういう人は元気とは言わない。危ない人だ。孤独だが元気な人、というのをイメージできるだろうか。一人で自分の仕事を淡々とこなしながら、周囲からは、あの人は元気だね、と言われる人があなたのまわりにいるだろうか。たとえばわたしは今、わたしの部屋でたったひとりでこの原稿を書いている。あなたはわたしが元気かどうかわかるだろうか。その人がひとりのとき、元気な人かどうかどうやって見分ければいいのだろうか。いったい見分ける方法があるのだろうか。
わたしたちが普通に使っている「元気な人」というニュアンスでは、その人が集団の中にいなくてはならない。その人が集団の中にいて、しかもその集団内の結束を高めるように大声を出したり、笑いをとったりしなければならない。それが、わたしたちがこれまでイメージしてきた「元気な人」だ。
そういう人は気味が悪い。たとえばシドニーオリンピックの女子マラソンで優勝した高橋尚子選手は「元気な人」だろうか、世界で最も速いマラソンランナーなのだからフィジカルには元気に決まっている。だが高橋選手が、「数週間に及ぶ高地トレーニングをこなし、世界一速くマラソンを走らなければ自分のことを好きになれない人」だったらどうだろうか。そういう特別で複雑な才能を持つ人を、単純に「元気な人」と呼んでいいのだろうか。
わたしは集団の中で元気を発揮する人が昔から苦手だったし、もう完全に飽きている。別に元気を示さなくても、たとえばきちんとした仕事をすればそれでいいのではないだろうか。日本的な集団、それが常に問題になる。これまでの日本的な集団の中では、孤独になることは許されない。一人で黙っていると、暗い人だといやがられる。何か話さなければいけないし、ひどい場合には何か歌わなければならないこともある。酒を飲まないと行けないことも、おかしくもないのにみんなと一緒に笑うことを強制されることもある。
孤独な人、一人でいる人を、「元気な人」と呼ぶことはほとんどない。これまでの日本社会の文脈の中で、元気な人というのは、必ず集団の中にいて、その集団の利益のために、その集団に活力を与える人を指していた。今、日本では、不要な集団が増えているし、大前提的な結束ではなく集団のルール作りが必要とされていることが多い。つまり今、「元気な人」は「単に迷惑なだけ」ということが多いのだ。
恋愛の格差 村上龍 p.131

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