- 現在のシステムを知ろう
- 未来を考えてみよう
- 困った時は昔はどうだったかを考えよう
21世紀の4分の1が過ぎようとしている現在、先進国の一つである日本で、あなたはどのような暮らしをしていますか? 私は埼玉県のさいたま市で、鹿児島県出身の父と、神奈川県出身の母のもとで、3人兄弟の長男として育ちました。父は大学の広報部につとめていて、母は子どもたちが小さい頃は家を守っていました。家はマンションの6階で、都市ガスで調理、給湯を行い、暖房は主に電気ストーブ、夏は母がエアコン嫌いだったので扇風機を使っていました。食材は近所のスーパーや、らでぃっしゅぼーやという有機野菜や自然食品を扱う食品配送サービスで調達していました。
パソコンが好きだった父の影響で、私は中学生の頃からプログラミングを始めました。未来はコンピューターが社会のあらゆる領域に浸透した情報化社会になると思っていたので、コンピューターを制御する能力が重要になると考えていました。 私は、公立の小学校や中学校に通いながら大人たちの観察をしている内に、言いようのない閉塞感を感じたり、人間の活動による地球環境の破壊について本を読んで、大きな不安を抱えていました。JRの電車に乗ると、大量の人たちがすし詰めになって駅から駅へと運ばれていき、新宿などの大きな駅では、一目で見渡せるだけの空間に、数千人の人が歩き回っていて、自分が移動するとそこにも同じだけの人がいるという空間が拡がっていました。
この頃の私は、自分や、日々目にする大量の人たちの生命を支えているものについて、何一つ理解をしていませんでした。食べ物や服がどこから来ているのか、電気がどのように作られているのか、建物や道路の材料がどこから来ているか。インターネットを使う時、いくつの機器が何Wの電気を消費しているのか。そんなことが話題に上ることは全く無く、でも生きていました。
お金さえきちんと稼げれば、なにも知らなくても生きていられる社会。抽象化され、単純化された、アニメのような社会が存続すると信じられていれば今でもその暮らしを続けていたかもしれません。
このような社会を支えているもの、それが工業であると知ったのは大人になってからでした。先進国と呼ばれる国はほとんどが工業を主体とした産業によって生産されたモノやエネルギー形態、またそれらに関連した企業の株式をもとにした経済によって、食料や繊維、エネルギーの原料、金属や鉱物、そして人件費の安い発展途上国で製造された衣料や製品が輸入され、消費される社会を成り立たせています。その実態はいわばディズニーランドのようなもので、その中には夢の国が広がっているけれど、そこには大量のエネルギーやモノが供給され、大量のゴミが排出されています。なお悪いことには、そんな恵まれた国でありながら、経済システムの歪から、ちっとも幸せを感じていない人があふれているのです。
人権という考え方が浸透し、少なくとも建前上は階層のない社会が実現された日本社会も、より高い視点から見ると、一部の特権階級を多くの平民が支えているという構造になっています。情報化社会や、ロボットが普及した便利な暮らしという未来像は、こうした具体的な労働や物質の移動が隠された表面で描かれているものだったのです。
近年、人間の経済活動を原因とする気候変動や生物種の激減、海洋のプラスチック汚染などが報道されるようになり、社会の持続可能性について疑問視されるようになってきています。子どもたちは学校で地球環境に人間が及ぼしている影響について教わっています。しかし大人たちは様々な報道を目にしながらも、スーパーやコンビニにはプラスチック包装された食品ばかりを並べ、車で移動をし、洗剤を使い、お金を稼ぐことに精を出しています。大人になっていく子どもたちに現在のシステムの枠組みの中で立派な大人になることを期待するのか、それとも新しい存在の仕方を開拓していくことを願うか、私達は選択する必要があります。
量子コンピューターによって複雑な演算が一瞬で行えるようになり、量子もつれを利用した超高速通信が可能になり、IoT技術によってあらゆるモノが通信し合うネットワークをAIが統合制御して、生産活動が自動化され、私達はわずかに残された風光明媚なリゾートか、VRで再現された過去の美しい自然の中で休暇を過ごし、地球のリソースが足りなくなれば小惑星を採掘してロケットを作り、火星をテラフォーミングして植民して、そのうち意識がコンピューターシミュレーションにアップロード可能になり、やがては星間通信を確立して銀河系を支配するようになるのでしょうか? まるでSFのような技術群とそれらが描き出す未来像が日本政府の目標に掲げられ、IT企業や大学で研究されています。こうしたことは本当に可能なのでしょうか?
私はかつてIoTやシミュレーションの研究をしていたのですが、この時に明らかな限界に直面しました。まず、あらゆるモノにマイコンと無線通信回路が搭載され、遠隔制御が可能になるということは原理的に不可能です。この方法で実現できるのは、砂粒の一つ一つ、葉っぱの一枚一枚、太陽や、海、海のゴミなど、現実を構成する膨大なモノが無限に省略された小さな小さなネットワークでしかあり得ません。
また、現実世界が取り返しのつかないほど壊れてしまった場合に、シミュレーションの中で暮らすということが検討されます。生身の肉体にHMI(ヒューマン・マシン・インターフェース)を装着してVR体験をする。もしくは仮想空間内の脳の神経回路のシミュレーションに、生身の脳の各シナプスの結合度を写し取って、電脳化するという手法が考えられます。しかしこのようにして模倣された世界や身体が、私達が現在生きているこの世界を超えることは控えめに言って非常に考えづらい。現在の科学で捉えられている現象に限定された世界となってしまう上に、利用できるリソースのの限界から、極めて限定された規模となることが避けられません。
私はこの思索を通して、2つのことに気付きました。まず、IoTという人工的なネットワークを作るまでもなく、はじめから、宇宙のありとあらゆるものがそれぞれ固有の方法で演算し、通信しあっている、つまり宇宙が巨大なアナログコンピュータとであるということ。そして、私達はその中にいて、その情報処理の流れに関与するための完璧なインターフェース、つまり身体を持っているということです。
私達が向かう未来は、人間が考えたモノばかりに囲まれた人工世界でしょうか?それともいつまでも解明し尽くすことのできない驚異に満ちた自然界でしょうか?
最近では脳が量子演算を行っており、他の脳を含む外部の物質と量子もつれを起こすという現象が観察されるようになってきているようです。私達が現在手にしているテクノロジーを使って、崩壊していく環境からの逃避を考えるよりも、超大規模で複雑かつ精妙な自然コンピュータと調和してコミュニケーションを行う方法を洗練させ、あらゆるものが通信しあっている境界のない精神を進歩させていくことを考えるほうが、太陽の寿命を越えた繁栄、もしくは完璧な平安のうちに滅びていくことへの近道ではないでしょうか?
現在の文明に問題があり、それが目指す未来像にも限界があるということを直視することは苦痛を伴います。私もかつて絶望と恐怖に苛まれました。しかしここで一つ提案があります。困った時は昔の人がどうしていたかを考えてみませんか?
あなたは日本というシステムの一員である以前に、地球という星に生じた一つの命であり、土から生えた植物やそれを食べる生き物を糧に連綿と繋がれてきた命の連鎖のおかげで生きています。その命の連鎖はどんな人たちがどのようにして繋いできたのでしょうか?
弥生時代以後は約2000年、縄文時代は約1万6000年と言われています。お母さんが子どもを産む年齢には時代によるばらつきや、一人目と10人目では開きがありますが、仮に単純化して25歳とすると、縄文時代以降だけで80世代+640世代に渡ってこの島国で生活が営まれてきて、経済活動による生存圏の破壊という問題を引き起こしたのはわずか数世代です。ちょっと考えれば、私達がどういった方向に暮らしをシフトさせていけば良いかは明らかではないでしょうか?
石油を利用して大量の窒素肥料を生成する技術の発明によって起きた緑の革命が現在の人口爆発を可能にしたのだから、化学肥料と農薬を使う大規模農業でなければ現在の人口を賄いきれないという議論があります。もちろん突然化学肥料+農薬の使用を一斉にストップすれば大量の餓死者が出ることは想像に難くないでしょう。しかし、昔はどうしていたかを考えて、たくさんの人が小農になれば、少しづつ大規模農業の縮小が可能になるはずです。
百姓になるということは、太陽のエネルギー、水の循環、有機物の循環、植物と菌、虫、酸素や窒素、火、料理、栄養素、代謝、人との共同作業、動物との関係など、自然コンピューターの情報処理ネットワークの中にがっちりと自分を組み込むことです。自然の情報と一つになり、困った時は昔はどうしていたかを考えれば、トラクターもビニールマルチも絶対に必要なものではないことが明らかになるでしょう。その上で大きな視点から考えて、絶対に使ってはいけないというわけでもないという意見に達する場合もあるでしょう。
どうすることもできないことと、自分に与えられている選択肢を見極めて、過度に偏屈にならずにできることをやって生きていきませんか?どんなことが起こるかはわからない。絶望してもしょうがない。かといって見ないふりを続けたり、やりたくないと思うことを続けてもしょうがない。
私は現在、徳島県の神山町のはずれで、畑作や庭木の剪定、土地の環境改善など、園芸を生業に暮らしています。
今年は、山の中の平地で、獣害対策の金網を使わずに野菜や麦を作る実験をします。加えて、徳島市内の住宅地のど真ん中にある畑と荒れ地の中間のような土地をコミュニティガーデンにする計画を温めています。自然コンピューターを生身でプログラミングする実験に出資してくれる人を募集中です。
できることからはじめる実験を見てみたい人は、みのり園に遊びにきてください。
オススメ 『緑の哲学』 福岡正信
2025年2月5日 自然園芸みのり園 山下実則