日時: | 2025-03-15 |
---|---|
作: | 時雨堂 |
バージョン: | 2025.2 |
URL: | https://shiguredo.jp/ |
時雨堂クラウドサービスを支える技術
日時: | 2025-03-15 |
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作: | 時雨堂 |
バージョン: | 2025.2 |
URL: | https://shiguredo.jp/ |
時雨堂クラウドサービスを支える技術
cat <<EOT >> ~/.bashrc | |
alias ishikawasan_gomennasai='sudo sed -i "s/\(SELINUX=\).*/\1disabled/" /etc/selinux/config \ | |
&& echo-sd "石川さんごめんなさい" 2>/dev/null \ | |
|| banner "石川さんごめんなさい" 2>/dev/null \ | |
|| echo "石川さんごめんなさい" | |
# お詫びのeject | |
eject -T 2>/dev/null && eject -T | |
sudo reboot' | |
EOT |
英語圏ではかなり前からD言語を開発し続けることのリスクについて語られていたが,全く具体的な弊害が出て来こないので,単なるメモ.日本ではかなり遠い未来だと思う.
COBOLのように需要が逼迫しているのに人材の供給が増えず需給ミスマッチが起っているわけでは無く,需要も供給も増えないという状況下でわずかすら需要が上回っていないつも通りの状況がD言語に起きている.特に深刻なのは高価な古手エンジニアの採用が絶望的に難しいという現実だ.Haskellが台頭して数年経ちScalaがメインストリームの先頭を突っ走る2013年において新しくD言語を勉強しようとする年長はよほどの物好きしかいない.20~30歳のD言語エンジニアを雇うのはそれほど難しく無いだろうがコストがかかる.高価な40代前半の古手エンジニアを雇いたいという企業の思いとは裏腹にD言語を新たに学ぶ年長は絶滅寸前だ.
とても優秀な古手を雇用できるチャンスが巡って来た.採用担当者はこう尋ねる.「D言語は習得していますか?」「もちろんALGOL/Fortran/COBOLはお手の物です.Emacs Lispもある程度可能です」「もう一度伺いますがD言語は習得していますか?」「申し訳ございません 未習得です」